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小説が分析できる! 国家の政治学 (書籍要約)


〇国家とは何か


近代主権国家とは、国境で仕切られたある一定の地理的領域内で、物理的強制力の行使を正統に独占する組織である(マックスウェーバー)。ここには3つのポイントがある。

1つ目は領域性である。つまり、他の国に支配されることなく統治し、権力によって支配する領土が存在することだ。

2つめは、物理的強制力の独占である。武器を持って制裁を加える組織(軍隊・警察)、法を使って裁くことができる組織(税関・裁判所執行官)が限られて存在することだ。このような実力組織が限られているからこそ、国の方針を取ら抜くことができる。

3つ目は正統性である。国民が権威に服従しており、国家が定めたルールを国民が進んで従う雰囲気が存在することだ。


現代国家とは、警察や軍隊と言った物理的強制力を背景に領土とそこに住む人々を統治する組織である。つまり、実行組織で国民を統治する組織だ。

〇国民とは何か


国民とは、言語・宗教・慣習と言った文化的要因の共通性を基盤として、アイデンティティを共有する人間の集合である。要するに、共通の文化によって自己を決定している人々の集まりだ。これは「1つの国民が1つの国家を作っている」という国民国家の考え(ナショナリズム)に近い。
このナショナリズムは国家が中央集権化(権限を一か所に集める行為)していく中で強まっていった。

〇国家は何をすべきか


統治がうまくいっていない国家は、物理的強制力(暴力)を独占できていない。暴力を独占できていないと、集合行為問題(自分だけ利益を得て、負担は他人に丸投げする人が多くなる問題)が発生する。その結果、内乱が勃発することで、人々の暮らしが脅かされ、乏しい生活を余儀なくされる。つまり、国家が物理的強制力を独り占めし、秩序を保ち、持つことが保証される権利が定められていなければ、人々は安心して社会生活を送ることができない

・警察と犯罪組織の違い
ティリーは「マフィアのような犯罪組織と国家との違いは程度問題であって、本質的な違いはない」という。つまり、犯罪組織と警察(軍隊)はほとんど一緒だという。ティリーによれば、税金を支払ってもらう代わりに国民を(内外から)守る行為とみかじめ料を払ってもらって内外の嫌がらせから守る行為はたいして変わりないという。

・歴史的
キリスト教が強かった時代→国境で区切られた領域内で物理的強制力を独占するような主権国家は存在しなかった。つまり、国家は強力な軍隊や警察を持つことが出来なかった。


軍事的革命がおこりだした時代→軍事技術が軍事に応用されるようになったことで、大量の兵士と莫大なお金が必要になった。そのため、強力な力を国が持つようになった。


つまり、統治するシステムは国民の人権を守るために創られたのではなく、戦争に勝って自らが生き残るために創られたものである。したがって、国民が望むものと国家が望むものが違うことがしばしばあり、結果として、国家を「ただ国民から搾り取るだけの略奪国家だ」と捉える「略奪国家観」が国民にあっても納得できる。

~実践コラム~(筆者付け足し)
小説でもしばしば、国民からただむしり取っているだけの権力者が描かれていることがある。しかし、そう「描いている」だけであって、本質的には少し違う。統治者は自ら(若しくは国家)の生き残りのために、国家というシステムを最大限利用しているのである。しかしながら、搾り取るということが国家のパワー(特に経済)を弱めるということもまた事実である。必要なことは経済政策で経済を自由にしつつ、政治政策で権力者を抑え、良い制度を効率的に動かすことであろう。

・「契約国家」という考え方
この思想は近代主権国家を正当化する要素の一つとなる


トマスホップズの主張:人間を国家がない状態(自然状態)に放り込めば、自己保存のために何をしても許される権利(自然権)をむやみやたらに使ってしまう。そのため、争い(万人の万人に対する闘争)が起きる。だから、人間が持っている権利を国家に渡す契約(社会契約)をして、国家に譲って任せる必要があるという。

ジョンロックの主張:人間を国家がない状態(自然状態)に放り込めば、互いを尊重し、譲り合った平和な世の中になる。だが、例外として他者の権利を邪魔する場合も存在する。そうならないために、人々は自分の自由を守るため、自然権の一部の実行を政府に行ってもらい、個人の権利を守ってもらう必要があるという。※ロックは自然権を譲って任せることはできないため、直接民主制によって国民自らが行う必要があるとしている。

だが、この社会契約はすべて創造(フィクション)のことであり、実際に行われた記録はない。

〇国家が市民の声に耳を傾けるときの条件


①国家が国民に依存している場合。
国家が生き残りのために国民の税金や兵士が必ず必要な場合、国家は国民が発する意見に耳を傾けやすい。一方、国家が自分で稼ぐ力がある(資源や国家事業でまかなえている)場合は、国民の意見に耳を傾けることができない。


②国民が国家への協力を引き上げるという脅しが通じる場合。
 国家が国民に依存していたとしても、追い詰めてしまえば、強制的に協力させることが可能である。そのため、国民が逃げやすい環境にあれば、国家は国力が無くなることを危険視するため、国民の意見に耳を傾けやすくなる。一方、国民が逃げにくい環境(農業経済、鎖国体制など)であれば、国家は国力がなくなる心配をせずともよいため、国民の意見に耳を傾けることが無くなる。


~実践コラム~(筆者付け足し)
『俺は星間国家の悪徳領主』は剣と魔法のファンタジー世界で、星間国家が存在し、人型兵器や宇宙戦艦が戦うスペースオペラのような世界観である。この世界を分析すると、国民の意見が国家に届きにくい環境(世界)と言える。①の「国家が国民に依存している場合」はあまり当てはまらない。領主が複数の惑星を所有することが可能であり、それだけの範囲があれば資源の一つや二つ簡単に見つかる。したがって、国家が主導して採集するため、国民に頼る必要がなく、国民の意見を聴く必要がない。
 ②の「国民が国家への協力を引き上げるという脅しが通じる場合」には完全に当てはまらない。この世界での宇宙船の価格はよくわからないが、地球の世界でも宇宙船は高額である。宇宙船が地球よりも頻繁に使われているため、地球よりも価格は安く、移動はたやすいだろうが、それでも一国民が買えるものではない。したがって、国民は国家から脱出することが非常に困難であり、国力がなくなる心配をする必要がないため、国民の意見を聴く必要がない。

『俺は星間国家の悪徳領主』は過去にも心理学と戦略学の観点から分析しておりますので、興味がありましたら、そちらの記事もよろしくお願いします。


参考文献

<第二章 国家という枠組み>を要約

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