おばあちゃんは武士
太刀魚を食べた。
従兄弟が釣ってきてくれたもので、2匹ももらってしまった。銀色に光るその姿はまさに太刀。私は助さん・格さんじゃないので、このままでは銃刀法違反で逮捕される。というわけで両親とともにひとつの刃もこぼさずに食べた。しめしめ、これでサツにはバレないはず。
あなたは茅で手を切ったことがあるだろうか?私はない。第一、葉についた小さなトゲに触れたことがない。のびのび育つ茅は、私の目の前で倒されていった。祖母の手によって。
去年亡くなった父方の祖母(以下、おばあちゃん)は、昭和ひと桁生まれ。絵に書いたような高知のおばあちゃんという感じで、声が大きい。声がよく届く。農協に行くとよく喋る。明るい。心配性。怒ると怖い。ストーブの上の焼き芋を素手で触る。いちごが好きといえば、食べたくないよと悲鳴をあげるまで買う。そんな人だ。
おばあちゃんと散歩に出かける。近所の公園、堤防。桃色の看板がついた商店。アーケード近くの魚屋さん。こうお出かけしていると、やはり茅との遭遇は避けられない。なんせ、田舎だからね。
「カヤは手ェ切るけん!さわられん!!」
「ちょっとそこで待ちよきなさい!!!」
と言いながら、私の目の前にある茅をガンガン抜いていくおばあちゃんの背中をあなたに見せたい。(※公共の場にのびのびと生え尽くした茅であり、勝手に人様の茅を抜いているわけではないのでご安心を!)
おばあちゃんは本当にすごかった。ものの数秒で茅の原から道を創り出してしまうのだ。お百姓やったけんね、というおばあちゃんは風車の弥七よりかっこいい。
ところで、このときの私はまだ4~5歳。【茅で手を切る】の言葉のニュアンスが全く理解できていなかった。【切る】というのは、やっぱり、はさみみたいってこと?それとも水戸黄門で出てくる刀みたいに?このやわらかい草が?
「……おばあちゃんは、大丈夫なが」
やわらかくも鋭いみどりに怖がりながら、私は後ろの方で小さく聞いた。
「大丈夫よ!!!!!!!!!おばあちゃんは!!!!!!!!!!!!」
と答えながらも茅を抜く手を休めないおばあちゃん。
私はこのとき知った。
切れるものに対するおばあちゃんの強さ、そして水戸光圀の強さは「おばあちゃん(おじいちゃん)であること」だということを。
あれだけの悪党に刀を向けられても呑気に杖をついてじっとしている光圀。茅の原をものともせず道を創るおばあちゃん。これは仕組みがいっしょだ。私はちいさいから茅が怖くて近寄れない。けれど、私がおばあちゃんくらいの歳まで生きれば、全部抜くことができるだろう、と。
気がつけばそこには私が通れる幅の道ができていて、残された茅は不安げに風に吹かれていた。
おばあちゃんと私の旅は、土佐国を中心に小さく続いている。
おばあちゃんが亡くなったときによく聴いてた