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「祈り」に逃げない

 パレスチナ・ガザ地区の惨状を見過ごしてはならないと、発信を続けている版画家さんがいる。彼女は、停戦が実現するまで版画の制作はしない、と宣言している。
 彼女の投稿の中に、パレスチナの現状を知っても何もしない人たちの言葉をイラストにしたシリーズがある。

 この投稿に、私の心は波立った。
「目の前の人をせいいっぱい愛す」
「世界平和は家庭から」
「パレスチナのこといつも考えてる」
「怒りは戦いの始まり」
「自分のごきげんをとるのが大切」
「毎日祈ってる」
 何もしない人たちの、これだけで見れば美しく見える言葉たち。特にこの「毎日祈ってる」に、私は頭をガツンと殴られたような気がした。パレスチナ問題に関して何か行動しているか、と彼女に問われたら、私もそう答えるのではないだろうか。
 そうか、これは何もしない自分への言い訳だったんだ、とわかった。

 この世界にはたくさんの問題がある。この先の未来が心配でたまらなくなるような問題が、たくさん。だからと言って、あまり多くの問題に対峙しようとすると、何をすればいいかわからなくなり、無力感に襲われる。
 だから自分が取り組む問題を、ここで決めようと思う。もちろん、他の問題に目をつむるという意味ではない。ただ、自分のテーマを決めると行動しやすくなる。もう「祈り」には逃げない。

 未来のためにしたいことがある。それは、表現の自由を守ること。
 昨今、表現の自由が制限されつつあるのを感じる。フェイクニュースやヘイトスピーチは確かに存在していて、規制は必要だ。でも、どうやって「フェイク」と判断するのか。「フェイク」と判断する基準がしっかりと確立していなければならない。
 この7月、誤情報常時監視法案が内閣で閣議決定された。「誤情報・偽情報」と判断された情報はプラットフォーム事業者と連携して削除されることが決まったのだ。
 この法案に対するパブリックコメント(国民の意見)が、5月7日の締め切りで募集されていた。けれども私は、夏野菜の苗の定植に忙殺されていて、パブリックコメントを出さなかった。自分が出したところで法案の可決を止められるものじゃない、という思いもあった。
 それでもきっと、祈るよりは効果があったはずだ。だって、私の祈りの重さなんて、印刷されてスーパーで売られている「皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」という年賀状の祈りと、五十歩百歩なのだから。


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