きっとこんな夜だった
前回ハレー彗星がこの地球に接近したのは
1986年のことだった。
塚田僚一と戸塚祥太の生まれ年である。
おそらく五関くんにも当時の記憶はないだろう。
それが一夜限りの流星のようなものではなく
ある一定の期間に観測できるものだということは
私も今回調べるまで全く知らなかった。
「夜曲〜放火魔ツトムの優しい夜〜」はそんな時代に書かれた横内謙介の名作戯曲である。
(今回の話とは全く関係ないが横内先生が脚本・演出・作詞を務めサンリオピューロランドのメルヘンシアターでロングランを続けている「KAWAII KABUKI」は本当に最高なので機会があったら絶対に見てほしい。ナメた気持ちで観劇したら号泣かまして友人にドン引かれたおたくのアカウントはこちら〈ここまでオタク早口〉)
2023年が明けてすぐ、三が日のうちにその知らせはやってきた。
我らが誇る「体」「技」シンメ、
そのままミラコスタ、騙し討ち北海道こと塚五のダブル主演。
松竹座100周年の記念公演。
横内謙介脚本、中屋敷法仁演出。
待ち焦がれた最高の現場が来てしまった。
タイムラインには「勝ち確」の文字が躍っていた。
しかし、当初の予定通りに物事は進まなかった。
キービジュアルや共演者が発表され、
本番が1か月後に迫った頃。
「弊社所属タレント塚田僚一(A.B.C-Z)に関するご報告」
塚田くんはSOSを出してくれた。
会社は塚田くんを守ってくれた。
それでも不安が無かったといえば嘘になる。
「僕に考える時間を下さい」という言葉は
塚ちゃんらしくストレートながらそれだけの重みがあったし、「早く治してね」「すぐ帰ってきてね」なんて言葉はとても掛けられなかった。
貴方が帰りたいと心から思ったそのときは
両手を広げて迎えるからね
その場所は必ず守っているからね
どうか健やかに幸せに過ごしてね
言葉に出さずそう祈ることしか
私にはできなかった。
今もこれからも待ち続けているけれど、
それ以上に塚田くんには幸せになってほしい。
私たちはこれまで貴方に
どれだけの幸せを貰ったか分からないから。
代役はこのとき「BACKBEAT」絶賛再演中だった
戸塚くんが務めることが発表された。
大千秋楽から初日まではたったの1週間だった。
「塚田の代わりは誰にもできません」
塚田くんと、A.B.C-Zと関わったことのある人なら
誰でも知っていることだ。
それでもこのタイミングで他の誰でもない戸塚くんから発せられたこの言葉に込められた想いは強く胸を打った。
あれだけパワーを使う再演の主役を務めあげながら、休演日や1公演の日に同時並行で稽古を重ねた戸塚くん。
本当にありがとう。貴方がいなければこの舞台が世に出ることはなかったでしょう。
2連続主演、本当にお疲れ様でした。
映像作品での活躍も楽しみにしてるね。
かくして大阪松竹座で幕を開けた
「夜曲~ノクターン~」。
様々な背景を持つ出演者が己のすべてをぶつけて独特の世界観を創り上げる異種格闘技の様相を呈しつつ、それは一冊の不思議な絵本のようでもあって、何処か切ない余韻を残す読後感が印象的な作品だった。
ツトムくんはうだつの上がらない新聞勧誘員で
幼い頃から友達のいないタイプ。
バブル直前の日本にあって貧乏で恋愛経験もなく
アレルギーでタバコも吸えない。
横内先生はインタビューのなかで「排除される存在」としてツトムを描いていると答えている。
(初演のツトム役はガリガリ時代の六角精児さんである)
普段の五関くんを知っているおたくからすると
どう転んでも世界に愛されてしまうあの人にそんな役ができるのか???と思ってしまうところだが、卑屈で浅薄でどこをとっても中途半端な放火魔は確かに其処にいた。
いつもなら五関くんが演じた役は
どんな役でも情が湧いてしまうのに、
私はツトムくんの良いところをほとんど探せなかった。
だけどそれを演じる五関くんは相変わらず
かっこよくて芝居が上手くて声が大きくて
本当に大好きだなって思いました(語彙力)。
マッチを擦る指先もそれを吹き消す機敏さも
オドオドしているときの縮こまり方も
調子に乗った時の笑顔も
目の前のすべてに興味を失ったときの虚無も
感情がいっぱいになると井戸が溢れるところも
演出が中屋敷さんなだけあって
流石に最高が詰まりすぎてた。
特に好きだったのは千代姫の影を殺した十五に
「どうして。なんでこの子まで殺しちゃったの」
と無の表情で問い掛けるシーン。
一度は声を荒げるものの十五に武士の哲学を説かれ、目の前でとんでもないことが起きているのに
ただ憮然と舞台の端に座り込む無言の演技は
俳優・五関晃一の真骨頂だった。
そして物語の最後のページを自らの手で捲る瞬間に、寂しさと悲しさとやるせなさが綯い交ぜになったような表情で涙を溢れさせるのも本当にズルい。
My楽だった18日マチネの涙腺管理が凄まじくて
それまで泣いたこともなかったのに唐突に号泣してコンタクトが流れ出てしまったのはここだけの話。
今回も五関くんをこんなに美味しくしてくれて
やしきさん本当にありがとうございました。
今回とつご以外のキャストははじめましての方々だったが、アンサンブル含め個性豊かで多彩な奇跡の座組だった。
黒百合を演じる河合雪之丞さんの名人芸には
目から鱗が落ちて言葉を失うほどだったし、
愛原実花さん演じる玉野尾の美しい悪役ぶりには
ただただ平伏したいと思ってしまった。
虎清ちゃんが首を差し出すところで虎の鳴き声がするところも狂おしいほど好きだったし、ほぼ全員が自分のことばかり考えているなかで白百が最後の最後まで殿を守るところは感動するしかなかった。
Twitterでも黒百合の話ばっかりしちゃったんだけどやっぱどう考えてもすごいよね……虎清の寵愛はもちろんだし玉野尾の奴隷でもありながら前世で結ばれなかった千代と最後は一緒に、、、
黒百合関係の二次創作を書いた方はどんなものでも美味しくいただきますので御一報ください(業務連絡)
そしてまた話は変わるけどラストシーン。
ひとりで夜明けを迎えたツトムくんは同じ台詞をニュアンスを変えながら2回口にする。
どういうことなのか気になって原作戯曲を読んでみると、1回目と2回目の間に
(少し何か覚悟ができたような気がして)
とカッコ書きがあった。
これは何の覚悟なのだろうか。
この前のシーンでツトムはサヨちゃんから
「貴方はそちら側に居て」
「もう一度火を付けて思い出を眠らせて」
と懇願される。
(ちなみに戯曲を読むと「恋の思い出」のくだりは無くて「いつまでも思い出の成り損ないのままで可哀想でしょ」みたいな遣り取りがある)
サヨちゃんも周りの人たちも燃え上がってもうどうにもならなくなったとき、ツトムのモノローグは火の話から「物語」の話に変わった。
物語の終わりがどうにも寂しくて向き合いたくなくてページを捲れなくなった経験は私にもあるし、このときの涙があまりにも自然で美しくて唯一このシーンだけはツトムくんに共感してしまう。
たとえそれが本当はサヨちゃんの物語だったとしても、彼は読者よりは近い距離に居たし実際最後まで「登場人物」で居たかったのだろう。
ラストシーンのそれはきっと、
彼にとって初めての
「さよならの覚悟」だ。
もちろん、最期に一緒に眠ることのできた千代と四郎以外にとっては地獄のような結末だった。そもそもこれで本当に眠ることができたのか、これからも時の狭間を彷徨うのか、物語の続きはツトムには知る由もない。
マッチを取り返してしまったのに火付けのコミュニティにももう居場所は無いかもしれない。明日から新聞勧誘が上手くいくこともないし突然アレルギーが治ることもない。
それでもサヨちゃんの願い通りに彼らを眠らせて一夜のノクターンに終止符を打ったことは、きっと彼にとっての大きな一歩になったのだろう。
2023年の大阪に現れたこの物語は確かに当時の時代性にピンと来るほうが味わい深いところもあったのかもしれないし、敵も味方もなく分かりやすい成長物語でも決して無いけれど、なんだかそれが逆に今っぽいのでは?とも感じて、戯曲の奥深さと演出の妙、お芝居の面白さを今も噛み締めている。
きっとこんな夜だった。
物語の終わりを
受け入れたくない女達が
その彗星を探して
雨の夜空を見上げたのは。
さようなら。
また会う日まで。