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潜在意識/思考は現実化する 「これまでの人生で私に与えられたすべてのお金に感謝します」


「これまでの人生で私に与えられたすべてのお金に感謝します」
というアファメーションがあるのですが
この話を先日クライアントさんとしていたんですよね
いまお金がないと思うということは
あなたはお金を使いまくっているという証拠
かつお金がないという言葉が出てくるということは
感謝していない証でもあります
ですのでいままで自分が「いくら使ってきたのか?」
を計算してみるといいですよ
いかに感謝せず文句いいながら自分がどのくらいのお金を使ってきたのか?
を可視化させて直視してみると
お金に対する観念1つ崩れていきますので。
で、結婚してからいくら使ったのか計算してみてくださいって
お願いしたんですよね
家と車入れたらいくらになるか?
ざっとでもいま40歳以上であれば1億近い金額になるのですよ
持ち家で都心であればゆうに1億超えているはずです
家と車と年間の生活費が家族4人で結婚して10年以上たっていれば
1億近くなりますよね?
計算してもらったら案の定
1億近い金額だったんですよね
お金がないと思っていた
稼ぎも足りないと思っていた
でも自分がここまで使ってきた金額計算してみたら
とんでもない金額だった
お金がないお金がないと言い続けてきたけど
使ってきた金額みたらとんでもない金額だった
つまり感謝せず使ってきたお金がそれだけあるので
いつまでたってもお金が停滞してくれないのは
自分がそうしていたからだったということに気づけると思います
お金がないのは使ってるからだし
「お金」よりも「使うこと」が好きだから手元にお金がないのです
「お金」が好きな人は「使う」ことよりも
「お金」が好きなので「手元にお金を増やします」
これがお金持ちですね
ないのであれば使うのが好きなだけなので
いくら入ってきてもたとえ収入が増えても永遠に
お金はないままになるんですよね
まずはこのループに気づいて抜け出すことから
そして使うお金を「感謝できること」だけに変えていくこと
使っているお金を消費と浪費をなくすことから
みんな「自分にご褒美」って言うんですけど
軽率にご褒美上げすぎなんですよね。
それが重なってお金がないになっているのかもよ???
使うのは「投資になるかどうか」
浪費をいかに減らして消費は節制はしても節約のしすぎも
よくないです。
ここの見極めをして、あぁこれが手に入ってありがたいなぁと
心から思えるものにお金を使ってあげましょうね

今日は、モヤモヤしたら「完璧だ!」と思考の脈絡関係なくぶっこむ
という話から引用します
~~引用ここから~~
このままで完璧。
だから願望に対して何か方法を用いることもない。
そのままで叶うし既に叶っている。
「すでに叶っている筈なのに、目には見えないではないか」
「現実に実現が起こらないと完璧とは言えない」
そのような姿勢ならば、いつまで経っても実現は現れないだろう。
知覚されてなくとも完璧と認められるか?

外に方法を探している間は答えらしきものが次から次へと現れる。
しかしそのどれもが完全に納得の行くものではなく決定打にはならない。
探せば探すほど出てくる。
完璧の楔を打たなければ延々と続く。
今ここの全てが完璧であると認められるか?
完璧と認められれば展開が変わる。
認めないから同じような現実が延々と繰り返される。
私は認められないと言うならば、認められないことを認めればいい。
追いかければ逃げて行く。
追いかけるのは止めて、今この瞬間が完璧であると認め立ち止まること。
そうすれば忽ち完璧が現れる。
この世界は夢と同じ。
達人が言ってた。
眠っている本体が本当の私。
夢の主人公がエゴ。
本体が夢の世界を創り出す。
その世界に主人公が反応する。
主人公の反応が本体に伝わる。
本体はその反応に呼応した夢の世界を創り出す。
また主人公が反応する。
その繰り返し。
負のスパイラルも正のスパイラルも主人公の認識反応次第。
本体はエゴフィルター通りにただ夢を創るだけで良いも悪いも判断しない。
怖い夢は怖い夢のまま続く。
でも主人公が夢と気づけば変えられる。
だから負の反応に気づいたら連鎖を断ち切ればいい。
それが「完璧」。
完璧認定みんなやろうぜ!

これほど簡単で、すぐに私=世界が実感できて、
すぐに目の前に現れるものはない。
まあ願望実現というよりスムーズな世界になるアプローチかな。
ここからピンポイント狙えるようになるかなとも思う。

すぐに完璧が現実に現れるコツがわかった。
完璧認定は自愛と近いとも言うけど、
ある意味今今メソに近いところもあると気づいた。
やっぱり前後裁断なんだ。
いろいろ考えてモヤモヤしたり、不安が胸や頭をもたれて苦しい。
そんな時「完璧だ!」と思考の脈絡関係なくぶっこむ。
その後もモヤモヤ~と思考し不安が起こるけどまたぶっこむ。
モヤモヤしたら即ぶっこむ。
ぶっこみまくる。
エゴエゴを裁ち切る。
(自分の状態に自覚的になることがちょっと必要。
自己観察の重要さも再認識した)
ぶっこんだ後の空白は今に在る。
思考も不安もない。
この空白がわかると実感しやすい。
やっぱりね、現実は自分の在り方なんだ。
在り方=思考、気分、そして認識。
自分の在り方がやっぱり世界に現れてる。
これでいいのだ
って、完璧認定の言葉だね。
~~引用ここまで~~

自分の在り方がやっぱり世界に現れてる。
とてもとても深い一言
前提が現実化しているともいえるんですが
自分で自分のあり方をこうだと決めてしまう
エゴが何と言おうとこうだ!!!と
言い切って切り返していくと
エゴって静かになっていくんですよね
自分の状態に自覚的になることがちょっと必要。
とあるように。
無意識にエゴに飲まれている時間が多いと
それがそのまま現実化していきますので
エゴに飲まれている自分を
自分で見つけていく作業が慣れるまでが
最初はあたふたしやすい部分でもありますね
やっぱり前後裁断なんだ。
いろいろ考えてモヤモヤしたり、不安が胸や頭をもたれて苦しい。
そんな時「完璧だ!」と思考の脈絡関係なくぶっこむ。
ここはすごく使いやすいと思います
とにかく前後は関係ないので
ぶった切ってOK
エゴが何か言うたびに
いますべて完璧なんだ
完璧だって言ってるでしょう???
と言い切ってしまいましょう
エゴの言うことが無視できるようになると思うし
エゴが騒いでいるときを見つけやすくなっていくと思います
エゴに飲まれて現実をつくっているうちは
人生ってどうにもできないものなんだって
思うようなことが現実になっていきやすいです
ですがそんなことってないんですよね
あなたがエゴをしっかりとコントロールできるようになれれば
エゴは静かになるし
本来の自分でいられる時間も長くなっていく
不安はすべてエゴがつくった幻想なだけ
まぼろしー---ですね
本当にトリックなんだけど精密にできてて
抜け出すまでが苦労したんだけど
外から見てみれば何この仕組み!?
というようなものなのよ。。。
今ここの全てが完璧であると認められるか?
完璧と認められれば展開が変わる。
だまされたと思ってみんなでやってみましょう
いまこの瞬間からできて
お金もかからない
やってみれば結果が変わるかもしれない
もし変わればラッキー
変わらないのであればエゴが手ごわいのかもしれないけど
エゴはしょせんエゴなので
知識があればおとなしくさせることはできるようになる
だから不安って手放していけるんですよね
お金の不安は生きるに直結してるから
時間はかかるけどそれでもちゃんとなくしていける
着実に少しずつでも変えていける
やるかやらないかだけですね

そしてそして投票行ってきましたよおおおおお
みなさんどうでしたか?行かれましたか?
起きるのが遅いので14時前に投票行ったんですが
人少なかったように思うんですよね。。。
みなさんの地区はどうでしたか?よかったら教えてください
投票にきているのも60代か50代かな?というような層が多く
30代で来ているのは子供連れた若い夫婦くらいで。。。
投票率70%超えるにはどうしたらいいのか
私も投票権持ってからすぐ
選挙行くようになったわけではないですが。。。。
なんでうつみ先生の話たまに書くかっていうと
自分で漢方勉強するようになってたどり着いてよく勉強会
講演会行くようになって打ち上げの飲み会で
ここにきているみんなが自分で発信するようになって
文句言うだけではだめ
社会を変えるには政治を変えないといけない
政治を変えるには自分でもそういう活動をしないといけない
という話をよくしていたので
確かに文句言うだけでなにもしないのはだめだな
と思ってその後2年ほど選挙ボランティアしてました
その時に好きだったブロガーさんがいて
名古屋で講演会があったのでいったんですよね
当時アメブロしていたので明日そのひとの講演会
行くっていうのブログに書いていたら
お昼休みにご本人に話しかけにいったら
「ブログに書いてた子じゃない?エゴサするからみたよ!」
と言ってもらいおまけに帰り道の電車
間違えて逆方向に乗ってうわやっちゃった
と思ってUターンしようと思ったら
そのブロガーさんも同じように乗り間違えたらしく
一緒になって、名古屋駅まで一緒に向かうことになって
仲良くなって、そのひとがしばらくして大阪で出馬することになって
ボランティア足りないから手伝ってほしいって言われて
うつみんも政治に参加してから文句言えって言ってたし
やってみよー普段交流ない人に会えるだろうし!と思って
参加してたら意外と楽しくて2年くらいやっていた。。。
という経緯
おもしろいよね
「なにが」「どんなこと」に繋がるかわからない
選挙の後援会のひとたちがどんなひとで
どんなひとが誰を支援しているのか?を
自分の目で見れたいい機会だったんだけど
やめた理由は私がここでこれをしても
選挙に行かない50%は増えるわけではない
選挙にいつも参加している人たちがたまに投票先変えることは
あるけど分母の底上げにはならない
だったら自分ができるもっと得意なことをやろう
と思って選挙ボランティアはやめたけど
時間があればまたいつかどこかの選挙対策本部に入って
やりたいくらい。
今回だったら須藤元気さんのとことか
内海先生のとこの選挙ボランティア入りたかったわー
もっと頑張らないとね。
選挙に来ないひとたちと一緒に沈んでいくのは
本当にごめんなので20代30代の親世代は
選挙行くように自分の子供らに伝えてもらうしかないのか?
どん底に今向かっている最中だとはいえ
どんなどん底にたどり着くのか。。。
大難が小難になるように今できることをやっていくしかないので
1人1人が自分にできることやっていきましょう。
夜の開票が楽しみです。。。!!!!
ありがとうございました!!




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