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秋の花火


花火というと夏のイベントと思われるかもしれないが、秋にも花火があがることもある。これはイベントではなく、神事である。

先日、垂井町大石の秋葉神社で四年ぶりに立火(たてび)が行われると聞いて行ってきた。とはいえ、垂井町の住人でないワタクシは地理不案内。無事に目的の場所に到着する自信がなかったので地元の観光協会長のSさんにお願いして、同乗させていただいた。前日に「明日大石の花火に行かれますか」と打診した際、「私に乗せてけということですか?」と驚いたように聞き返された。Sさんはいちおう行くけど、長く現地に留まるつもりはなかったようだ。私が行くとなると取材もかねてということになるので、どうしたものかと思われたようだ。実は私は垂井町の観光パンフレット制作のライティングを仰せつかっている。Sさんはもともと大石の花火はそれほど大きく扱うつもりはなかったようで、わざわざ現地にいかずとも、ほかの資料を見て十分書けると思っておられたようだ。確かに扱いが小さければそれで十分なのだが、私はどうしてもこの目で大石の立火を見たかった。

大石の立火とは大石という地区の秋葉神社で行われる花火のことだ。花火といっても打ち上げ花火ではない。横木に縦筒をつけ、その中に火薬を詰め込み、火をつける。すると火花が筒からシュワッと噴き出すのである。打ち上げ花火のような派手さはないが、素朴で花火本来の美しさや火の持つ神聖さが感じられる美しい花火である。

実はこれと同じ花火が上石津町の時山という地区にも存在する。時山は9月だが大石は10月。どちらも祭の神事として行われている。大石も垂井町の奥まった所にあるが、時山も同様だ。滋賀県との県境にある集落で、江州街沿いにあった。宿場町というほどではないが、その昔はけっこうにぎわっていたようで、大石の方が仰ったことには親戚が時山にあって子どもの頃はよく遊びに行かれたそうで、昔は旅籠もあったという。二つの地区の間に関係があったかどうかはわからないが、立火の始まった理由も集落に火事がたびたび起こり、火伏の神である秋葉さんをお祭りして加護を祈ったことに由来するらしいので、村から村へ、旅人による伝播だったのかもしれない。

大石の立火のことを私に教えてくださったのは、前観光協会長のHさんだった。残念ながらHさんは昨年病気で亡くなった。Hさんは元ジェトロの職員で海外経験も豊富。ベトナム戦争で陥落直前のサイゴンにもおられたらしい。2005年に開催された「愛地球博」では瀬戸日本館の館長も務められたと聞く。大学の大先輩にもあたり、何かと声をかけていただき、垂井町観光協会の理事まで務めさせていただいた。Hさんが求めておられたのはよそ者から見た客観的な視点だった。正直それはうまくいかなかったが、垂井町民でもない私に同町とのご縁をつないでいただいた懐の大きな方だった。

垂井町にはメルボルン倶楽部というサークルがあり、これもオーストラリアのメルボルンが大好きだったHさんの肝いりだったらしい。大河ドラマ「麒麟がくる」放映に合わせて、明智光秀生誕地説のある地元を同倶楽部で歩きたいといわれ、メンバーのご婦人たちを案内させていただいたこともある。本屋を開くにあたっては、本もいただいた。そんなこんなで私はHさんには恩がある。私にできる恩返しなど、せめて大石の立火を地域の内外に紹介することぐらいしかできないが、それにはどうしても自分の目で見たかった。たんに資料を見て書くことと、自分の目で見て書くことは熱量が違うからである。

Sさんもあまり大石には詳しくないらしく、ちょっと危なっかしかったが、なんとか駐車場とおぼしき所にたどりついた。「前はここに車止めたんやがなあ」とSさんは心細そうだったが、男の人が来られたのでその方に聞くと、一般の人はあちらへと言われる。Sさんが「いや、私、観光協会長ですが」というと、とたんに態度が変わった。この時、Sさんは正式に招待されていたわけではなかったらしいが、この際、そんなことはどうでもよい。車を停めて少し歩くと、秋葉神社の参道とおぼしき山道の入り口に行燈が立っていた。ここから山道を登るらしく、道の両側にずらりと行燈が並んでいる。Sさんの後について登ったが、けっこうきつかった。しかし、草一本も生えていない綺麗な土の階段で、聞けば地元の方がお祭りのために除草されたようだ。手作りの行燈もまた情緒があってなかなか良い。

夜になると闇の帳に包まれた林の中に行燈が浮かび上がる。

境内には一台の櫓があり立火の準備ができていた。下に滑車がついていることからふだんはこのまま、蔵の中にでもしまわれているのだろうか。祭のたびごとに組み立てるのはなかなか骨のいる仕事だと思う。櫓の前に建っている鳥居のような木の枠にかけられているのが花火の筒である。横棒の先を持って筒の中の火薬に火をつけると花火が噴き出すのだ。。昔は村の青年たちが火薬を作って(今は高木煙火さん)それを筒の先に詰めて花火をしていたという。さらにすごいのは境内に生えている大きな木の上から花火をしていたそうで、その様子がまるで滝が流れるように見えたことから大滝と呼ばれていたとのこと。地名に大滝というところがあるが、ここから来ているのだろうか。しかし60年前に事故が起こって以来花火は中止に。ようやっと復活したと思ったら今度はコロナで中止に。今年は復活したとはいえ小規模だったので来年はもっと増やしたいと地域の顔役の方が仰っていた。


境内に人が集まり始めた。闇の中ではっきりとは見えないがざわざわという気配が次第に大きくなる。簡単な挨拶のあと、3本の筒に点火された。銀色の火花が飛んでたちまちそれが一つの大きな柱のようになって、天に向かって噴き上がる。見事だ。観客たちの歓声が上がった。3本の柱が闇の中で輝く。神聖な火柱だ。火の粉がパチパチと飛び散る。打ち上げ花火のような派手さはないが、白色とオレンジ色が混ざり合った、素朴で線香花火を巨大化したような花火だ。人間が火を神聖なものとして崇めていた原始の姿のような感じがする。ルーツは三河のようだが、これもどこかで見てきた人がその美しさに感動して、うちでもやりたいと始まったのだろうか?かつては火薬の調合は村における極秘中の秘だったそうである。

せっかく復活した大石の花火🎆続けていくには人的パワーもコストもかかるが、ぜひ続けて行ってほしいものだ。貴重な文化遺産だと思う。

それにしてもお祝い事やら何やらの時は必ず花火をあげる。日本人は花火好き⁉️ 

花火は写真撮るの難しい😓煙しか写らなかった💦σ(^_^;)

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