朝ドラ「おむすび」は面白いか?から考える個性とは何かという話。
「虎の翼」は素晴らしかったのに「おむすび」はつまらないという声をよく聞きますが、皆さんはいかがでしょうか?僕も「虎の翼」は確かに面白かったし、伊藤紗莉の芝居の上手さには舌を巻きました。でも「おむすび」がつまらないとはそんなに思ってないんですよね。
残念な経験として、僕は自分の思ってることを言えない時期が結構長いことありました。それはおそらく育てられ方に問題があったんだろうな、と思ってます。両親のことを憎んだことはありませんし、親ガチャに外れたとも思いませんけど、昭和後半で育った僕は、大人の目や大衆の目を気にする子供でした。争いを好まず、議論から避けて、多数決でも多数派のほうがいいと思っていたところがありました。それが自分を守るための考え方だったのかもしれません。
例えば「ドリフ」が大好きだったのに「ひょうきん族」の放送が開始されて、友達が「ひょうきん族のほうが面白い」と言い始めると、一生懸命に「ひょうきん族」の面白さ(面白がり方)を探して、友達の話題について行こうと必死でした。今思えば<新しい=面白い>みたいなことでしょうか。志村けんよりビートたけし。加藤茶の「ウンコチンチン」より片岡鶴太郎の「マッチで~す!」のほうが面白いはずだ。そう信じたい子供だった僕でした。それでも8時30分を過ぎたころからチャンネルザッピングを始めヒゲダンスだけは見ていましたが・・・。当時ビデオもなかったし。
そんなふうに長いものに巻かれ続けていたのですが、ドラマの演出部という仕事を始めてから、それが必ずしも正解ではないということに気付いてきました。ここからとても私的な領域になってきます。一般論を否定する話なので、個人的な考え方になります。
簡単に言えば「誰も確証なんて持ってない」と思います。たとえば「Aという俳優って芝居が分かってないよね」なーんて話を収録後に演出部だけになったときにすることがあります。「そうだよね」と相槌を打つ奴もいれば何も答えない奴もいる。そんな中で僕は、個人への悪口については意見を言うことなく「ふーん」という感じでやりすごしていました。
しかし「今やってるドラマの〇〇はつまらない」とか「演出家が手を抜いてる」みたいな話については「ふーん」では逃げ切れないのが演出部なのです。僕は自分の意見に自信がないので、ネット記事だったり、バラエティやワイドショーでの誰かの発言を自分の言葉で言い換えて、そのドラマについて話していたと思います。
あるとき僕の中で「このドラマ、バカみたいだけど面白いなあ」と思っているドラマについて、演出部仲間から批判的なやりとりが始まったのです。「演出家が役者に芝居をつけてないよね」とか「そもそも台本の作りが緩いんだ」とか。世間もまたそのドラマについてはあまりいい印象を持っていないようでした。数字もそんなに取れてなかったし。自分に自信のない僕は、当然のように「ダメだね」みたいなことを言ったのを覚えています。だって面白いものを「ダメだ」っていうのって口惜しいじゃないですか。覚えてますよ。ずっと。
結局そのドラマはおそらく打ち切りになったんでしょう。ワンクールものだったはずなのに、変な終わり方をしていました。僕としては残念でなりませんでした。同時に「やっぱり自分の見る目がないのか」とも思ってみたりしましたが、僕の中では今でも演出家のやりたかったことが分かる気がするし、出演者もそれに向けて真摯に取り組んで、最終回までには伏線が回収されるものだと思っていたんだと思います。そうならなかったのは時代の空気だったり、ターゲット層には刺さり切らないものだったからではないかと今の僕は思います。
ただ、そのドラマの感想をちゃんと言えなかったこと、そこに僕は得も知れない敗北感のようなものが残りました。そんな敗北感から立ち上がるべく、僕の中で自分の考え方がまとまってきました。それは普通は誰でもやってることでしょうけど。
①面白いと思ったものは面白いと言う。
②面白くないと思ったものは面白くないとは言わず「自分ならこう考える」
という言い方ができるように深める。
③制作者は誰もが面白いと信じて作っているということをリスペクトする。
④自分が作るものについては、絶対に自分が面白いと思えるものを作る。そ
うならない場合は、何で否定されるのかが分かるまでは折れない。
勿論お金の都合やスケジュールの都合で、思い通りにいかないことは本当に多いのですが、それでもこの4つについてだけは守り抜かなければ絶対に後悔するなと思い知らされました。
そして何よりもこの4つをしっかり守り抜くことが僕自身の「個性」と呼ばれるものになっていくことが分かってきます。ドラマの演出をするに当たってはどうしても「自分らしさ」とか「唯一無二感」を求めるがあまり、エキセントリックな演出を考えたり、自分の思いとは違う面白がり方でドラマを活かそうと考えていたんですが、そんなものは必要ないことに気付くんです。いや本当は自分では気付かないんですが、他の人に言われるようになるんです。「今回の演出はスズメさんっぽいよね」とか言われ出すんです。僕は奇をてらったことなんて何もしてないのに。
僕はいまだに自分らしい作品なんてものを作れた実感が湧いたことは一切ありません。ドラマの演出部から小劇場の脚本・演出。これから手を出していきたい小説の世界。これまでも、きっとこれからも僕が自分の個性に気付くことはないだろうと諦めてもいます。ただただ青臭く「自分の中にある信念らしきもの」に対して嘘をつかずに表現していくことだけが「個性」を発揮できることなのだと思うようになったんです。
これって僕の仕事だけじゃなくて、すべての人に言えることのように思うんです。何を面白いと思って、何をつまらないと思って、何を良いことだと思って、何を悪だと思うか。きっと世の中に同じ感覚を持っている人なんていないと思うんです。M-1のチャンピオンに納得いかなかったり、納得したり、全然面白いと思えない芸人がもてはやされたり。まあ芸人の世界で言えば「面白い」と「面白くない」のラインは「芸」としての最低ラインがあるので決められるのかもしれませんが。
いいじゃん、自分がいいと思ってるんだから!
他人に僕の趣味をとやかく言われたくないんですけど!
そんな皆さんは正常だと、僕は思います。
僕もこれから、マジョリティに流されずに生きていきたいと思います。
というわけで「おむすび」で結構泣いちゃってる僕がいたっておかしくないですよね?という話でした。惜しむらくは環奈ちゃんの芝居が大人っぽすぎてリアクションが冷たく感じることがあるということくらいです。