小説:見える人 2-1
2.新たな誘い/左肩を見つめる女
街灯が消えてから五日後に僕はまた合コンに誘われた。話を持ってきたのは同期の小林という、いかにも押し出しの強そうな、そして実際にも少々強引なところのある男だった。
「まだちゃんと決まってないんだけどよ、そういう話が出てんだ。もちろんお前も来るだろ?」
「うん。――いや、どうしようかな」
「なんだよ、歯切れが悪いな。この前はむちゃくちゃ乗り気だったくせしてよ」
ああ、そうか。そういえば前回もコイツが仕切ってたんだ。つまり、あの女のことを知ってる可能性があるわけだ。
「な、この前んときって、相手はどういう集団だったんだ?」
「どういう集団? あれ? 言ってなかったっけ? ほら、けっこう前に俺がつきあってた子いたろ? ネイリストの」
「ああ」とだけ僕は言っておいた。あまりよく憶えてなかったのだ。この男はちょくちょく『彼女』が変わるのでいちいち憶えるのも面倒だった。
「あの中にその友達がいたんだよ。ほら、ちょっと派手目の、顔はそこそこって感じの。――憶えちゃいねえか。なにしろお前はずっと一人に集中してたもんな。でも、ありゃ駄目になっちまったんだろ? 浮かれてた佐々木が落ちこんだ佐々木になったって聴いたぜ。今は仕事に打ちこみすぎてて鬼気迫るものがあるってな」
背中を張りつつ小林は笑った。僕は奥歯を噛みしめていた。泣きそうな気分になっていたのだ。
「ま、そのちょっと派手目な子が集めてきたんだよ。あの子は飲み屋でバイトしてんだけど、その同僚と、そのまた友達とか言ってたっけな。でも、それがどうかしたのか?」
「ん、別になんでもないよ」
僕たちは社食を出るところだった。昼休みは終わり、エレベーターで十二階まで上がることになる。
「じゃ、次は佐々木をメインにしよう。全員がお前好みになるよう頼んでやる」
こういった人間にままあることだけど、この男は地声が大きい。エレベーターホールにいる全員に聞こえ渡る声でしゃべっていた。
「楽しみにしといてくれよ。ちょっとばかり時間がかかるかもしれねえけどな。なにしろお前好みの子を選りすぐらなきゃならねえからさ」
もういいから。そう思いながら僕は首を曲げた。小林はなにやら難しそうな表情をしてる。
「どうした?」
「ん、不思議に思えてな。ほんと、まったく不思議だ」
「なにが?」
「お前のことだよ。モテないはずないんだけどな。タッパもあるし、金だってそこそこ持ってるだろ? ギャンブルもしねえ、女遊びもしねえってんだから貯まる一方だもんな。それに顔だってまあまあだ。それなのになんでいつも振られちまうんだ?」
エレベーターがひらいた。乗りこみながらも小林は話しかけてくる。
「なあ、なんでなんだ?」
「そんなの知るかよ。こっちが教えてもらいたいくらいだ」
「ま、そうだろうけどよ。だけど、ほんと不思議だ。モテないはずがないんだよ。――ん? お前、呪われてんじゃねえか?」
僕は無視することに決めた。エレベーターは各階で停まり、徐々に空いていく。五、六人になったところで、「は?」と思った。じっと見られてる気がしたのだ。
「な?」
ジャケットが引っ張られた。最大限にひそめた声も聞こえてくる。
「あの子だってお前を見つめてるぜ。モテる男のつらいとこだな。熱い視線ってヤツだ」
睨みつけることで僕は黙らせた。それから不自然にみえないよう首を動かしてみた。隅の方に白いブラウスを着た女の子が立っている。スカートは黒で靴も踵のない黒いもの。銀縁の眼鏡をかけていて、その奥にある瞳はこちらへブレることなく向けられている。うつむき加減になってるから表情まではわからないけど、あらゆる特徴を消しこもうとしてるのはわかった。
しかし、どういうつもりでそうしてるかは別にして消すことのできない特徴があった。えらく背が高いのだ。僕は一八三センチある。それでも視線は仰角になっていない。
僕はまた「は?」と思った。目が向かう先は顔じゃないようだった。左肩を見てるのだ。もしくは、そのすこし上に向けられていた。
「どうしたんだよ、そんな顔して」
「いや、なんでもない」
ドアが閉まる間際に振り向くと、その子は顔を上げていた。頬にかかった髪は払われ、すこしだけ表情が見える。ただ、視線はやはり肩へ向けられていた。
「な、あんな子いたか?」
「ん? 確かに見かけない子だったな。でも、むちゃくちゃ地味だったし、気づかなかっただけかもしれないぜ」
「あんなに背が高いのに?」
小林は目を左上へ向けた。この男には主だった女子社員のプロフィールが埋めこまれてるのだ。しかし、諦めたように首を振った。
「いや、やっぱりわからねえな。思い出せない。もしかしたら新しく入った派遣かもしれねえし。――ま、だけど、今ので自信がついたろ? お前はモテるんだよ。その要素は持ってる。だから、次の合コンにも出た方がいい。うん、こりゃ決まりだ。そうだろ?」
大声で喚きながら小林はトイレへ入っていった。
ところで、僕にはもうひとつ気になることがある。それは犬についてだ。
いや、とりたててどうという話でもないのだけど、なんとなく犬に見つめられることが多いように思えるのだ。街中を連れだって歩いていても僕だけを見ていたりするし、三人で歩いているときも大勢であってもそれは同じだった。
犬は首をあげて僕を見る。吠えたりはしない。ただ、なにか言いたそうな顔をして見つめるだけだ。
それが気になりだしたのは人に指摘されたからだ。それも一人二人ではなく、おおよそ五、六人に言われたことがある。
はじめに言ってきたのは五年前に別れた彼女だった(念のため書いておくと、その子は現実離れした物の見方をするようなタイプじゃなかった。どちらかというと僕よりシビアに現実を見ていたのだろう。だから、別れることになったのだ)。
「ほら、また見られてるわよ」
彼女はそう言ってきた。
「私なんか見向きもしないのに、じっとあなたを見てるわ」
「は?」と僕は言った。「見られてる? なんのことだ?」
「気づいてなかったの? あなた、よく犬に見つめられてるのよ。さっきだってずっと見られてた。その前にもあったわ。今日だけで何匹の犬が見つめてたかわからないくらいよ」
「そうなのか?」
顔を向けると柴犬がじっと見つめてる。引き綱をぴんと張られても踏ん張って動こうとしなかった。
「そっちを見てるのかもしれないだろ? 俺を見てるとは限らないじゃないか」
「ううん、違う。あれはあなたを見てるのよ」
まあ、それでもかまわないけど。そのときの僕はそう思った。犬に見られたからといってとくに困ることはないのだ。ただ、それ以降そういう指摘が多くなった。鷺沢萌子にも言われたことがある。
「あの子、ずっとあなたを見てるわね」
それは雨の降る夜中にビールを買いに行ったときのことだった。飼い主を待っているのだろう、ポメラニアンが明るい店内を見つめていた。しかし、近づいていくと顔をあげた。彼女の言ったように僕だけを見てるようだった。
「なんで? 私の方はまったく見ようとしない。見えないのかな?」
邪魔な遮蔽物があらわれたとばかりに犬は首を伸ばした。それでも近づくと歯を剥き、毛を逆立て、激しく吠えはじめた。
「なによ、私のことは嫌いなの?」
離れた途端にポメラニアンは鳴きやんだ。肢を揃え、さっきまでの興奮を忘れたように僕を見つめてる。
――と、まあ、それだけのことではあるのだけど、だいたいいつも僕は犬に見つめられた。いや、そういうのはよくあることなのだろう。なぜか犬に見つめられると感じてる人は多いのかもしれない。ただ、気にはなる。
街灯が突然消えるなんてのを何度も経験してる身にとっては、このこと――犬に見つめられるというのも――なんらかの因果関係の内に含まれてるのではないかと考えてしまうものだ。
たとえば僕から電磁波が出ていて、それは電球にも影響をあたえ、犬もそれを気にしてしまうとか。まあ、そう考える根拠はまったくない。ただ、どのようなことであれ身のまわりに起こる現象に説明をあたえたいと思うのは人間の性のようなものなのだ。そして、僕はその性向が人より強いのかもしれない。
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