見出し画像

今宵ある日本人の母親が朝日新聞で得た断片、そして朝

2024年11月16日
彼女はいつも疲れている。今日は週末だ。やっと終わった一週間だが、彼女にはまだ寝ていない息子が学校に遅刻するだろうかという一抹の不安はある。しかし、どうにもならないので、距離をおくことだけが彼女(ワタシ)にできることだという、自覚は芽生えつつあり、ベットの上で新聞を読み始めた。

今日、断片的に出会った記事
河合隼雄はいう、われわれに一番大事なのは感心する才能ですね。クライアントに自由に箱庭をつくってもらう箱庭療法で、これは何ですかと聞くのは最悪だと、臨床心理学者はいう。うわーと心を波打たせれば、相手はもっと作りこみたくなるし、ふと漏れてきた些細な話にも、ほうほうと返せば、もう少し話してみたくなる。エモーションは文字通り人を動かす。谷川俊太郎との共著、魂にメスはいらないから。

池袋の交通事故で妻子を失った被害者の松永さんと、精神科医の桑山さんの対談。二人が生きていたことを無駄にしたくない。トラウマをすべて消すことはできない。それを受け入れて自分なりの意味づけをして社会に還元していく、私なりの回復だと、松永さんはいう。回復のモデルの一つとして松永さんの5年後、10年後、20年後を大切に見守っていきたいと桑山さんはいう。

ウクライナで4人の子供を育てるシングルマザー。母を失い、沢山の死を前にすると美しいものをつくりたくなる。子供を産むことを夫と話し合った。夫の死後少しして子供がうまれた。怖いとは思わないのか、すると、間をおかずに、思わないと答えた。日々を生きるためには戦うことが必要だと考える。それをつよさと呼ぶのかはわからないけど。夫が亡くなった後、首元に、ウクライナ語で、恐れない、のタトゥーを入れた。領土妥協、平和だとは思えない。家族がみんな生きていればそれが私の平和だったのかもしれません。でもいまは、この国が平和だった時のことをまったく覚えていません。

私はたくさんのひととの関係の中でのみ、まともな人間でいられる。朴沙羅 フィンランドに移住した社会学者は子育てに、恨みと迷いが絶えず、落ち込み、いら立ち、さらに母である自分にしか頼れないこと圧倒的な権能をもつ自分との非対称の関係も嫌でしかたがないあと。地元の相談所の助言で母親たちのクラブに入り、そこで制度や多様な人間関係が介在しない、子供と親だけの隔離された関係は危ういと気づかされた。 ヘルシンキ生活の練習から。

さて、土曜日の朝、ムスコは学校に出て行った。遅刻かはわからないが、やれやれだ。1500円を要求、靴が壊れていて新しい安靴を、もっとしっかりしたのかってといって、ファイトクラブを映画購入しようとしたら1500円以上なのでやめて、そして出て行った。再度やれやれだ。窓をあけて何もとくに声を荒げなあったワタシよ、まずまずの出来栄えだ。
さて、ワタシの時間が始まる。眠い。しかし心の窓もあけて、日常を始めよう。

昨日は元夫と憎しみの会話をする夢、大学の女性と楽しく観光中に突然いざこざになるという、ストレスフルな夢をみた。寝床のシーツがニトリのひんやりタイプだからか、を取り換えてみよう。

土曜日はBe版をよんでいる。心に残った2選。

それぞれの最終楽章。また逢う日まで10 中村俊介さんという朝日新聞編集委員の方の奥様の看取りについての最終章。不運と不幸は違う。
お嬢様を若くなくし、その後、ひっそりと洗礼を受けていた個性的な奥様を見送り、喪失感のなかで牧師に問うた言葉。不運ではあるが不幸ではない。生きるっていうのは、日常をすごすというのは、奇跡と隣り合わせなのだと思う。

悩みのるつぼ、今日の回答者は清田隆之さん。ワタシはこの方の丁寧な行間の読み取りがスキだ。境界線の引き直しについて。親しき中にも礼儀あり、人付き合いは微妙なバランス、心の浄化のギブテイクの微妙な関係と連動していることを、再認識した。

良い記事は社会に還元したくなる。そして、支えてくれる人たちの言葉を、親しい、遠い方に共有したくなる。その方の実践と重なるなぁということを、後押しで言いたくなる。おせっかいかもしれないが、応援でもある。

さあ、まだ朝だ。眠い。植物のようにぬくぬくとしたら、少し動物になれますように。


いいなと思ったら応援しよう!