建設業のシンママ、一周遅れの昇格試験記5
私の目指す姿ってなんだろう。働くって何だろう。生きるって何だろう。
昇格試験のインバスケットというのはゲーム的な論文です。課題解決スキルを見るものです。解説には、あるべき姿と現実とのギャップを常に常に考え、なぜなぜ、を繰り返して課題を整理し、理想に近づくというフローを回すスキルを問われると、会社で配布された冊子にありました。
重く考えることはないのです。私のすいません気質や、できることを気にする必要はなく、会社が求める流れに沿って、文章を書けるようにすればよいのです。それだけのことなんですが、なかなかできる気がしません。
でも、今日は、自分の書いたものをAIに添削してもらいました。内容はあいまいながら埋められたので、昨年よりはまだましです。去年の個人報告書をみると、私の弱いところは、対策立案、役割理解、主導、育成、の面で、問題把握と連携は普通のレベルでした。半分位しか書けなかった昨年ですが、それでもその通りかと思います。
で、自分のあるべき姿って、理想って?について考えました。が一ミリも浮かんでこないのです。誰々にどうあってほしい、家族が健やかであってほしい、友達と楽しく話したい。職場の人と楽しくいい仕事をしたい。そういう願望は割にすぐ沢山浮かぶのですが、自分のあるべき姿って、理想って?
仲の良い家族をつくりたかった。子供がほしかったしかわいかった。お金だってほしいし、それをいい未来、周りも巻き込むいい未来に使いたい。そういう理想や目指す事柄はあります。頼りがいのある人、役に立つ人、安心できる人、太っ腹な人になりたいという想いもあります。
しかし、なかなかどうして、自分で自分をみとめて、これでよし、これが改善点とシャキシャキ進められる活力が枯渇しているのです。周りをみてみんなすごいなぁと後ろめたくなってしまう癖もあります。
ただ、重く考える必要はないのだとカウンセラーの方と話して思いました。所詮はゲーム、受かればうれしいし、落ちたらまた考えればいいし、あまり気負いすぎてもどうしようもないし。そもそも急に机に向かえるようになれないし。机に向かえるようになったら儲けものだ。
身の丈粛々、人には人の乳酸菌。
ただ長年、私が働いて味わったつらい思いや、ここ数年の息子の学校問題で先生からの連絡で救われた部分について少し書ける部分があります。
まず、仕事では、仲間(同僚)からの見下し、四面楚歌が一番つらいこと。建設業は男社会なのもあり、私のようなタイプは軽くあしらわれると常々痛い思いをしてきました。しかし、場所や仲間の人が変わるとそうでもないことも分かりました。それで、同じ仕事に取り組む誰かとつらいときでも少しの笑いが交えられると、人ってすごく安心するのだなぁということも分かりました。根本的に見下されて、自分の存在意義が見出せなかったり、同じように力づよくやろうとするのは疲れて消耗するだけでした。なので、自分も含めて人をフェアにとらえるということは大事だと学びました。
学校の問題では、先生の言葉から学びました。苦境に立った息子の進路について、具体的に、状況はかなり厳しいですが、まず本人と話します、その後、さらに何々が終わったら何々についてまた話します。それで何々がどうなった段階では三者面談をすることを本人とも話しますので、それまでは、干渉せずに見守っていてください。などと、段階を踏んでの対策を示してくださると、だいぶ安心感がありました。結果がどうあれ、厚意を感じることができ、救われる思いがしました。
だから私にとってのありたい姿というのは、人と、おかしみやつらさや悲しみやうれしさを、うすくでも共有できたりすることなのかな、つらい時でも希望が少しでも見出せることを感じられることなのかな、それはリーダー像とは無関係だけど、生きてくうえでは私にとってのありたい姿なのだろうか、と、弱くてつらくてみじめな立場にさらされた長年の経験から、浮かびました。
ま、でも、個人の哀しみは脇におき切り離して、明日はゲーム練習をしようと思います。
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