私を苦しめた壁が私の盾となる
昨日は、小•中学校の9年間
不登校だった漫画家 棚園正一さんの講演会に
行ってきました🎙️
会場に着いて
どこに座ろうかなと見渡してたら
70代後半?の元気なおばあちゃんに
いきなり話しかけられて🤭
お話してるうちに
「せっかくだし、一番前に行きましょうよ!」って
誘ってみたら
「いいね!いいね!!」ってノってくれて
一緒にグイグイと一番前のど真ん中へ❤️
お隣の並びに
市長さんや教育長さんが
座ってるような超VIP席で
お話を聞いてきました
元々、漫画は読んでいたので
だいたいのことは知っていたけど
やっぱり本人の心の底から出る
リアルな言葉に胸を打たれ、
溢れる涙が止まらなかったなぁ
今振り返ってみても何の涙かわからない
目の前にいる棚園さんと息子がリンクして
言葉にできない感情を代弁して
自分に投げかけてくれたような
堂々と講演する棚園さんの姿を見て
息子くんたち、大丈夫だよって言われてるような
経験した人からの
魂のこもったメッセージは
簡単な言葉で言い表せるわけもなく💦
価値の高い経験ほど、言語化できないって
こういうことなのかな
それが涙として、溢れ出てきたんだろうか
そんな講演会でした🥹✨
その中でも、私に一番響いたのは
「待つ」という言葉
棚園さんがお母さまと共に
不登校の相談をした時に
よく言われたのが
「本人を待ちましょう」という話だったそうで
このワード、私もよく使ってるけど
棚園さんは、この言葉を聞くと
【自分がダメな人間だ】って言われてるみたいで
辛かったと
一瞬、意味がよくわからなかったけど
確かに、待つって言葉
こちらに来ることが正しいという前提で
遠くから、みんなで
こっちだよ!って来るのを待ってるみたいな
学校に行かない自分の立ってるこの場所はダメ!
それ以外の自分になることを
みんなも待ってるんだ💦って
否定された気持ちになってしまうのかもしれない
じゃあ、待つのではなくてなんだろ?
棚園さんがおっしゃってたのは
【待ち続けた先にあるいつか】を思って過ごすより
【今、この瞬間】を一緒に楽しく過ごすことだ!と
帰りの車の中で
その言葉を私なりの解釈
【いつかくるその時を、待ちのぞむ】のではなく
【今、目の前の息子たちと、とにかく楽しく過ごす】 その時間こそが未来へとつながるという意味かな
「学校に行くべき!行かせなければ!」で
ガチガチだった私が
不登校児の母になって1年ちょっと
正直、ヌォーーー😭😭😭っていう日も
まだ時々あるけど
こんな深いことを考えて
肩の力を抜いて
世の中を見られるようになって
随分と楽になってる
私を苦しめたこの日々は
果てしなく高い壁のようだった
それを一つ一つ乗り越えてきた今
その高い壁は、強い盾と成り替わり
私を守ってくれるものになったなぁ
そんな気持ち🥹