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夏休み、小さい頃田舎に行くのは異国に行くような感覚だった

福島県西会津の父の田舎に来ています。
父は「いま」ポケモンGOにはまっていて( www)、村内を歩いてポケモンを探したそうですが一匹もいなかったと愚痴っていました。
人もいないが、ポケモンもいない。トップ写真の通りですね。

私は生まれてからずっと「夏休みは田舎に帰るもの」という習慣で生きてきました。
東京生まれ東京育ちの私にとって、田舎に来るのは異国へ行くのと同じような感覚でした。

だって、
村の中でクマが出たから、夕方はひとりで外に出るなといわれたり、
川で泳ぎながらイワナをついたりする
ことは、東京に暮らしていたらありえない話。

ちなみに今日は、雨が降ったので、
父がスプレーと長い棒を持って、家の軒下にできたハチの巣を落としに行きました。
2つできていて、1つがキイロスズメバチ、もう1つがクロスズメバチの巣でした。ガチの危ないやつですね。
雨が降るとハチは飛ばなくなるので、巣を落とすチャンスなのだそうです。
先ほど、ハチとの激闘に勝利して、父は意気揚々と帰ってきました。

午後は、冬に凍結で破裂した水道管を直しに、水道屋さんがきます。
誰も住んでいないと、水を流しっぱなしにして凍結を防ぐということができないので、すぐに破裂してしまいます。近年はほぼ毎年夏に直して、冬に破裂してを繰り返しているような。
雪かきもそうだけれど、雪国ならではのこの永遠のループの中で生きづくことって本当にすごい。根性がチガウ。

祖父母が生きていた頃は、村の人たちもたくさん家に来て、久しぶりに会う私は話し相手になるのだけれど、7割〜8割がたみんなが何を言っているかわからない
(祖父母は小学校の教員だったので、私には標準語で話そうと努力をしてくれていて比較的わかりやすかった。)
これって、ほぼ英語の会話と同じくらいの理解度なので(英語力の低さよ…)、大まかに推察してふんわり返答する力はここでの経験で身についたように思います。(海外で雰囲気だけでやっていく力ともいえるでしょうか。)
で、とりあえず、伝わっているか伝わっていないかわからないけれど、「あなたといると楽しいよ」という好意を交換して、なんとなくお互い満足感を得るみたいな、すごく原始的なコミュニケーション力を養ったのでした。
これって、すごくグローバル時代に必要な力じゃない(笑)?

違うのは、自然環境や言葉だけでなくて。「常識」の差もよく感じていました。

携帯電話はここ2、3年の間にdocomoはつながるようになったのですが、他の機種はまだ厳しい。
スマホでインターネットを利用している人は、首都圏ではたしか70%近い割合。それに対して、一番利用率が低い県は、40%そこそこだった。
そりゃそうでしょってことで、そもそも電波がないところもまだあるんですよ。
(今でもコチラは、モバイルWi-Fiはことごとく圏外です。)
情報の発信は比較的どこにいてもできるようになったのだけれど(電波がなければダメだけれどね)、
受け手側だけの話でいうと、
地域での情報格差はゼロではなくて、「一見ゼロに見えるけれど、深刻な溝ができているケースがある」というのが実情なのかもしれないなと思います。

そんな常識の差を、昔、祖母との話で感じたことがあります。
携帯電話を持ったとき、「何に使えるんだ?」と祖母にきかれました。「電話ができて、メールができるよ」というと、「メールってなんだ?」ときかれて、頭を悩ませ、「機械で手紙を書くものだよ」と教えました。
祖母は半信半疑の顔をして、「ふうん」と。
ココでは、「メール」が一般用語ではないわけなんです。

また、
小さい頃から目が悪かった私は、「中学生くらいになったらコンタクトにしようね」と親にいわれていて、
コンタクトにしたらいかに便利かを村で暮らしていたイトコに話をしました。そうしたら、祖母に「そんなウソを言わないでくれ」と怒られました。

大人なのに夜9時に眠るのが当たり前だし、
コンビニやスーパーはナイモノだし、
水道は山の雪解け水だし(おいしい)、
常識は場所によってちがうものなのだということを、田舎の暮らしで身をもって体験していました。

よく「常識でしょう?」というけれど、
それはどこの場所の、どの年代の、誰の常識なのか。

その「常識でしょ」という思いを否定したいのではなく、
それを押し付けることに何の意味もないということを大前提にしていかないと、会話は成立しないよなと思うわけです。だって、全員、生きてきた環境がちがうんだから。
「同じ日本で育ったのだから」と国籍の共通性なんかで、同じ常識を持っていると思うべきではないのかもしれませんよ。

「おもしろいね、その”常識”。私は割とこっちが”常識”って環境で育ったかな」みたいな、差異を楽しむくらいの大らかさがないと、対立しか生まれなくなってしまう。

山間のこちらは、夜になると長袖が必要なくらい涼しいので、快適に眠れるという”常識”もあります。
灼熱の東京からすると、うらやましい”常識”かもしれませんね。

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