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潰す(古賀コン4応募作品)

 ゆるやかな上り坂の途中に、「回収できません」という紙が貼られたマットレスが捨ててある。それを避けて前を向くと、見覚えがある黄色いトレーナーが見えた。
 イートンだ。
 黒縁メガネと緑の短パン。教室にいる時と同じ服装をしている。
 いつも黄色いトレーナーを着て、ブタみたいな雰囲気だから、イエローの豚を略してイートン。ピッタリな名前だ。
 イートンは車道に何かを投げている。緑や茶色の跡が道にある。草とかワラに見える。
 もう少し近づくと、イートンが投げているのがバッタだと分かった。脇に持った小さな虫かごからバッタを取り出し、車道に投げる。車にひかれたバッタはぺったんこになって、草みたいになる。
 イートンはバッタを投げる時も、バッタがひかれた時も、表情を変えない。観察しているうちに、イートンはバッタを軽く潰してから投げていることが分かった。だからバッタは逃げずにひかれる。
 イートンがこっちを見た。目が合った。
 私は「何してるの」とか、「バッタがかわいそう」とか、言おうかなと思った。でも、やめた。
 イートンの横を通り抜ける時に虫かごの中を見た。まだたくさんバッタがいた。

 次の日、担任の池田先生は珍しくスーツを着ていた。いつもはジャージなのに。
 国語の授業で、教科書をひとりひとり順番に音読した。イートンはいつものように声が小さくて、読み間違いをした。男子が「イートン」と小声で言いながら笑った。
 池田先生がいきなり怒鳴った。
「今、イートンとか言ったヤツ、前に出ろ」
 もちろん誰も前に出ない。
「知ってるぞ、勝俣のこと、イートンとか呼んで、みんなでからかってるだろ。今川小学校の最上級生として恥ずかしくないのか。今までの先輩には、いじめをするような卑怯なヤツはいなかったぞ」
 その後も先生は説教を続けた。先生が一息ついた瞬間に、高橋陽人が「先生も大縄跳びの時に勝俣のこと笑ってたじゃないですか」と言った。
 池田先生は手をいつもならポケットがある位置に動かしてから、今日はスーツだと気づいて腕を組んだ。
「それは、あのな、先生の笑いは、笑顔だ。勝俣のことを応援する気持ちだ。お前たちの、バカにしたのとは違う」
 笑ったことを認めてしまった時点で先生の負けだ。「記憶にございません」って堂々としている政治家の人を見習った方がいい。
「そうだ、これは六年二組の問題だろ。学級委員はどう思っているんだ。石田と工藤、みんなを代表して何か言ったらどうだ」
 石田君は「えっと」と言った後、黙ってしまった。私に注目が集まった。
「私は、勝俣君がからかわれているのを、何度か見たことがあります。でも、見て見ぬふりをしてしまいました。これからは学級委員として、みんなが楽しく過ごせるような、そんなクラスを目指したいと思います」
 池田先生が頷いた。
「ありがとう工藤。先生もみんなと一緒に、ひとりひとりが輝けるようなクラスをつくるためにがんばるよ。まずは、イートンって呼び方は禁止しよう。それでいいよな、勝俣」
 勝俣君は「はい」と小さく返事した。
 それにしても、イートンって呼び方の何が悪いんだろう。かわいいし、呼びやすいし、私が考えたあだ名の最高傑作なのに。



※この作品は古賀コン4(第4回私立古賀裕人文学祭)の応募作品です。


英語を教えながら小説を書いています/第二回かめさま文学賞受賞/第5回私立古賀裕人文学賞🐸賞/第3回フルオブブックス文学賞エッセイ部門佳作