青天を衝け 6
「青天を衝け」第21話に徳川昭武が登場しました。15代将軍徳川慶喜の弟で慶喜の名代として、渋沢栄一も同行した1867年のパリ万国博覧会に出席しています。当時のフランスはベルエポックと呼ばれる時代で、美術の世界ではエコールドパリと呼ばれる画家たちの文化が花開きます。ローランサン、ユトリロ、シャガールと言った顔ぶれです。
昭武は現地ではプリンストクガワ、即ち、徳川家の次期将軍として紹介されました。ナポレオン三世にも謁見し、天覧競馬やオペラ鑑賞にも招待されています。当時14歳でした。博覧会後はパリで留学生活を送っています。これは江戸幕府の終焉を予見していた兄、徳川慶喜の意向によるところが大きかったようです。実際、留学中に大政奉還、明治維新が起こり、帰国後は松戸の戸定邸に居を構えます。
フランス滞在中に昭武の世話をしたのがパリ外国宣教会のメルメ・カション神父です。カション神父は琉球で伝道し、この時期に日本語を習得。フランスの外交官ロッシュの日本語通訳も務め、幕府との間に交流がありました。パリ博覧会当時はフランスに帰国しており、日本語に通じる者として抜擢されました。
ちなみに慶喜、昭武の兄が徳川慶篤。この人物の孫の徳川好敏がクリスチャン。結婚相手だった千枝子が信仰を持ち、自身も関東大震災の後、洗礼を受けます。カトリック所沢教会のメンバーでした。葬儀は四谷の聖イグナチオ教会で行われました。さらに好敏のふたりの甥、泰圀と韶は神父になっています。泰圀は神田教会で受洗し、1987年には大森教会の主任でした。地元、水戸カトリック教会の記念誌には徳川泰圀神父の祝辞も記載されています。
また好敏の妹にもクリスチャンがいます。淀橋教会を開拓した小原土佐司牧師と結婚した小原鈴子です。賛美集の新聖歌の中には小原鈴子作詞の作品が何篇か残されています。また上の妹保子も牧師の森明と結婚しています。森明と保子の間に生まれた子がクリスチャンの哲学者森有正です。
徳川幕府がキリスト教を弾圧したことは日本史で習いますが、徳川家から神父や牧師はじめクリスチャンが輩出されていることはあまり知られていません。ドラマでキリスト教人脈が詳細に描かれるとは思いませんが、脳内に補助線を引いておくとより深く楽しめることでしょう。
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