仮形成

りんかくが、尽きたところから、肺が、うまれたのかもしれず、まだ分裂の途中で、穀物袋を、抱えようとするから、宿命のように、咽にへばりつく痰が物語、かもしれないと思う間に唾液で、ながしこまれると身体の、中で子音だけがひびく気胸の、痛みにかわっていく。冷たい、と初めて感じた、記憶のことを、話したくて自分にも白骨が、あると自覚したそんな夜の、月の、感じで胎児、という個人的な、地図がいづれ刃物に、かわり力尽きてささくれた、木片に、さんそ、とひらがなで、にじんでいくだけだ。いつもと違う坂道を、通るとちいさなものから、羽化し始めて、幼い頃釣り上げた記憶の中のへらぶなにふれて夜がひろがることがある。だれだってパーカーのフードの中に鍾乳洞を、ひそませていてそこにもぐるとてのひらに惑星が、滴ってくるそのおもいに、いまここで、接続詞が渡鳥ほどの、意味をもつのだろうか。いつか海岸に、うち捨てられた誰かの、義足は母親の、空耳のように白い、砂をかぶっていた。こうして波打ち際に裸に、なってすわっていると、誰かの小さな死を、願ってしまう地面が、近くに感じられたまま、尻の穴から海水の、あぶくが元素記号ごと、入り込んできて、からだのなかに河川がひろがる。そのまま肺呼吸が、完全になる瞬間が訪れると、いつのまにか世界中の、季節風を吐きだしていることに、つながるんだ、そう、こんな話し方、あの、義足の持ち主かもしれず、そしてこの言葉の、訛りはすなおに幽霊を、おそれて川魚の、ひかりの反射は理想的な、直線だった。敬語をつかいはじめると川上へ、なにも遡上できなくなってくる。かつて、水浴びをはじめると、足指から、受胎に、近づきそれらが、種、かもしれなかった。井戸水にほどけていった、とうもろこしのひげを思い返してみると、箇条書きは、植物の霊性によって区切られていたはずだ。列挙されたアスタリスクから、腎臓病だった従妹の、におい、がただよってくる深い呼吸によって、もっと排泄を、軽やかに描きたくなる。だからどんなものでもいいおののかせてくれ今、画策されているありったけのクーデターに食べさせて、あげたい味の濃いスクランブルエッグ、を。


これは、冊子には載せる予定がないものでした。軽い、エッセイ風のタッチで詩が書けないかを考えていたんだと思う。同様の感じで、もう少し、長い作品もあるが、若干スベッてたみたいだ。後日、公開してみんなに見てもらいたい。



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