人間関係のツボ
今回は「人間関係のツボ」について考えてみたいと思います。
中堅・ベテランの先生に限らず、若い先生方でも、いや全ての皆さんに共通する「悩みのポイント」は「人間関係」であると考えます。
人間関係では誰しも、大なり小なり難しさを感じておられることでしょう。はっきり言って人間関係で悩んだことのない人などいないだろうと思いますし、今現在でも人間関係で苦しんでいる方も多いと予想します。
私が50代に入ってから少しずつ学習してきた「アドラー心理学」をもとに、生活の中で生かしてきた考え方と行動について紹介していきます。
私も少年時代から、近所の先輩にいじめられて短期間ながら不登校にもなったこともあります。
また教員時代を通して、何人かはどうしても気が合わない同僚がいました。協力しなければいけない場面でも、ぎこちない雰囲気が漂い、気まずい思いもしました。
管理職の時には、学校内で起きる問題に対して否応なく対応と責任を押し付けられ、言いようのないやるせなさも感じた時期もありました。
振り返って、胸のあたりがムカムカする強い不快感に襲われるようなトラウマ化している案件もありました。
このように生活をしている限り、人間関係の悩みはついてくるようです。
生活や仕事をしていくうえで人間関係に対する自分なりの柱となる考えをもち、そしてその柱の考えを常に意識し行動として実践していくことが、人間関係においての最悪の状態を避けられる有効な方法かとも思います。
課題の分離
まず考え方としてのキーワードは、「課題の分離」です。
これはアドラー心理学の中核をなす概念です。
課題の分離を一言でまとめると、
「自分の課題と他者の課題を切り離して考えること」です。
私はこの概念を初めて知った時に、最初に「それは当たり前だろう!」と思いました。
ですが、その概念について深く学んでいったり、生活の中で当てはめて考えたりする中で、その概念の奥深さが実感として分かってきて、「当たり前ですませられるような薄っぺらな概念ではないな」と思いました。
もちろん、50代では職場のリーダー的な立場にいましたので、次々と生じる問題について対応が間に合わなかったり結果が不本意なものになったりで、悩みや苦しみが絶えませんでした。
ギリギリの状態で、何度も何度も「課題の分離、課題の分離」と独り言を言って自分を鼓舞したことを覚えています。
対人関係で、相手を自分の思い通りに変えることは無理です。
しかし「課題の分離」の考え方によって、「他者の考えは、自分ではコントロールできないものだ」という認識をスタート時点でもち、他者とは全く違う「自分はこの状況で、何を考え何をするべきか」について集中していくことが大切になります。
「課題の分離」は、他者との関係を諦め、他者との関係を切ってしまうことではないと思います。
むしろ一歩引いて「他者(相手)の考え」はどういうものかについて冷静にとらえ、それに対して「自分の課題はどういったもので、この状況ならばどうすれば良いのか」について冷静に考えて行動することで、最悪の状況を回避できると考えます。
共同体感覚
そして私が考える二つ目のキーワードは、「共同体感覚」です。
これもアドラー心理学の中核をなす概念です。
アドラーの考える「共同体感覚」については、人類究極の幸福の概念ですが、自分の生活レベルの解釈では、生活や仕事で、メンバーの中に自分や他者の思いや願いがバランス良く共有され、その中で生まれる連帯感や相互信頼感、幸福感だと考えます。
自分が生活をして仕事をする場が全て共同体感覚にあふれている、ということはまずあり得ません。
むしろその逆の状態が、普通の日常でしょう。
であれば、その共同体感覚を自分の生活の中でどう体現させていけばよいのでしょうか?
自分のできる限りでよいから、
・どんな状況の自分であっても、自分を受け入れる
(自分を受け入れられていない人は他者も受け入れることができない)
・他者はともかく自分だけは人を傷つける言動をとらないと決心する
・自分にとって精一杯の優しい顔で、優しい言葉を周囲の人に届ける
・力を合わせて達成したことを素直に喜び合い、感謝を伝える
・苦しい状況に立ち向かうときに、最も苦しい立場の人を皆で支える
・普段から人を傷つけない笑いが生まれる雰囲気、空気感をつくる など
「共同体感覚」にパターンはありません。
あるとしたらそれぞれのメンバーの心の状態に存在するものだと考えます。
最後に
あらめて思うのですが、「アドラー心理学」は、先生に限らず入門書だけでも読んでみれば、自分に合った部分、共感する部分、生活の中で生かせる部分を探し求めることのできる心理学だと強く思います。
日々の忙しさや余裕のなさから自分が一杯いっぱいになり、先が見えなくなったときこそ、このアドラー心理学について学ぶ一番の機会かもしれません。一人でも多くの方が、この機会にアドラー心理学の存在を知ったり、改めて読み直したりするきっかけになれば幸いです。