#191 「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」を読んでvol.2 読書は衝動ではないかなと思った話
こんにちは!けーたです。
今日は「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」のvol.2としての投稿です。今日は時間がなくて第3章のみについてです。
前回は第1、2章についての気づきなどを投稿しております。
何に時間を使っているか?最近はお仕事に追い込まれてて、そこに時間を投下しております。
ただ、寝る前に仕事しかしていない一日ってなんか嫌だ。と思って読書時間を確保しnoteに投稿するってギリギリの生活が続いています。
いきなりですが、本の内容の詳細に触れていく前に、タイトルにある自分にとっての読書について定義します。
それは、自分にとっての読書は趣味ではあるものの衝動未満である。これが自分としての見解。
いきなりどうした?定義とかいい出してって感じですが、理由としては、第3章は「どうすれば衝動が見つかるのか」という内容だったからです。
衝動を見つけるまでに踏んだステップとしては、
1、衝動とは何でないのか?
2、衝動とは結局何ものなのか?
そのあとに、3、どうすれば衝動が見つかるのか?です。ここまでの議論で衝動を定義しているので、それを補助線として自分の読書を定義すると、
繰り返しになりますが、「趣味ではあるものの衝動未満」である。
なんのインセンティブも働かず、それでもついついやってしまう。って所が分かれ目。
「読書」はやっぱり新しい知識を入れたり、noteでアウトプットを鍛える為の何らかの「目的」として読書を行っている。
これって、なんだかわからないけどやっている。とは違う。
そして、ここからは第3章としての学び。
自分自身を粗末に扱わずに(=丁寧に自分自身を扱い)自分自身にインタビューを行いゆっくりと自分の中のたな卸しをしていく。
わかった気にならずに、丁寧に小さな事をしっかり深掘りしていく。
ココが気づき。自分の事だからわかった気になっている。
これから、GWとして少し長めの休みがある。ここは自分自身を丁寧に扱う為に、非日常空間でそれほど長い時間は無理だが自分と対話する時間を持とうと思います。
もう一度、小さな頃の自分に思いを馳せて、一つずつ見返してみたいと思います。
そして、自分でも制御できずに、突き動かされてきた何か?を探索したいと思います。
これが、第3章の学びです。
だれかの選書の参考になれば幸いです。
ではでは