見出し画像

Give and Takeとアウトプット

おはようございます。Sです。

本日2本目の投稿となります。この頻度で更新していたら、いつかパタリと更新が止まってしまうのではないかと心配しながらの投稿です。


本記事ではギブandテイクとアウトプットについて発信したいと感じています。

ボクが大切にしている考え方に、「人に何かを与えることは、自分の幸せに通じる」というものがあります。

仏教に「布施」という出家したお坊さんが持つべき考え方というものがあります。布施というのはつまり「与える」ということです。

また他にも「ギブandテイク」という海外の言葉もあります。この言葉は、自分が他の人から何かをしてもらったりするばかりでなく、相手に対して自分も何かを与えよう、という意味です。

恐らく世界中には、同じような意味、想いが込められた言葉がたくさんあるのだろうと察します。なぜなら、住んでいる場所や環境、宗教観や人種が異なっていても、人間社会の中にいる限り「相手に与えることの大切さ」は普遍であると思うからです。

さらに慣用句を挙げるとすれば、「情けは人の為ならず」という言葉があります。得てしてこの言葉は誤って理解されてしまいがちです。

この部分だけをみると「相手に優しくすることは結局その人のためにはならない」「いい意味で厳しくいかねばならない」と捉えられてしまうからです。かく言うボクも、ずっとそう思っていました。

しかし、ある時この言葉の正しい意味を知りました。実はこのフレーズには、まだ続きがあったのです。

実は「情けは人の為ならず、巡り巡って己が為」というのが全文で、意味としては「誰かに優しさ(情)をかけるということは、いつか巡り巡って自分のためになる(優しさが還ってくる)」というものが正しいのです。

つまり、最終的に自分のところにも巡り巡って還ってくるのだから目の前の人に対して優しく接しましょうねということで、「ギブandテイク」と通じるところがあります。


ボクは、これらのギブandテイクの考え方は順番が重要であると感じています。ギブandテイクは「与えなさい。そして、貰いなさい」と訳すことができます。

まず①「与える」、そして②「貰う」という順番です。

情けは人の為ならずを見てみても、誰かに優しさを掛けてあげたら巡り巡っていつか自分の元に還ってくるとあり、まずは目の前の人に優しく接する、与えることが大切だと読み解くことができます。


noteで自分の考えたことや感じたことを発信することも含め、誰かに役立つと感じることを伝える(アウトプットする)ということは、「与える」ということになります。

たとえば、noteで自分が「これは共有する価値がある」「きっと誰かの役に立つ」と感じたものを発信し、実際に読んでくださった方の生活に少しでも貢献することができたら、素晴らしい何かを「与えた」ことと言えるのではないでしょうか。

最終的に自分に返ってくることばかりを考え、見返りがあることを前提に何かを相手に与えようとすることは、ともするとあまり良くない考え方と捉えられてしまうかもしれません。

しかし、ボクは最初はそれでも良いと思うのです。まずは動機は見返りを意識してても誰かの役に立つ行いをし、そういうことが体に染み込んでいくかのように定着、習慣化することが出来れば、いつか見返りを意識せずにも周りの人たちに優しさを振りまいたり、貢献することが無意識にできてくるはずだと思うからです。

とりあえず、誰かのために何でも良いからやってみる。挨拶をしてみる、感謝の言葉を伝えてみる、道を譲ってあげる、など何でも。

実際に行動に移すことができなかったとしても、何をしたらあの人は喜んでくれるかな?とイメージしてみるだけでもいいと考えます。自分の大切な人の幸せを心の中で願うだけでも十分です。

その心の温かさはきっと、いつか、相手に伝わり、巡り巡って自分に還ってくると思います。


それでは今日はこの辺で、

最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!