ブログをもっと自然に日々の日課にしたい、という僕の願望について。
ブログは3年ぐらい前に確か始めたんだと思うけど、全然自分の日常の習慣にならない。
書くということが全然習慣化されなくて、それがなんだか自分の悩みの種になっている。
すごく深刻な悩みではなくて、毎日の中に空気のように、ごく当たり前のように漂っている。
そんな悩み。
だからこそ逆に深刻とも言える。
あからさまに深刻なら、行動に起こさないといろいろ支障をきたすので、何かしらの対処をしているはずで、でも空気のようにいつもあるのが当たり前の悩みは特に急いで動く必要もなく、対処しようという気持ちも起きない。
なので、僕はこの3年間ぐらい、この「ブログを書くことが習慣化しない」という悩みにずっとさらされながら過ごしてきたことになるのか。
ここまで読んでいて、なんで「ブログを書くことが習慣化しない」ことが悩みになるの?と思ってる人がいるかもしれない。
実は僕もその理由は分かってないのです。
なんでそれが僕にとって悩みなのか。それは、やっぱり書きたいからだと思います。それもたくさん書きたい。もっと自然に、日常の当たり前のことのように書きたい。話すように書きたい。アウトプットしたい。
インプットは毎日たくさんあって、本からインプットすることもあれば、YouTubeなどからインプットすることもあれば、友達と話してて、仕事をしてて、電車に乗っていて、街の中を歩いていて、日々生きているというだけで、いろんなことが僕の中に入って来る。
そしてそのインプットしたものに触発されて、いろんなことを考える。
そのインプットしたものと、そこから考えたものを外に出したい。アウトプットしたい。
外に出す方法はブログだけじゃなくて、音声アプリで声でする方法もあって、それはすごく僕にあっていて、こっちは習慣に近い形で出来ていて、でも、それだけじゃ満足しないみたい。やっぱり文字でもアウトプットしたい。
なんでだか分からないけど、そういう気持ちがあるから、僕にとってブログが書けないことは悩みになる。
しかも、ときどき書くだけじゃ間に合わなくて、出来るなら毎日書きたい。
でも毎日しんどい思いをして書くのは望んでなくて、それだときっと続かないので、実際に続いてないし。
もっと自然に素直に、日々の自然な習慣としてブログを書けるのが僕の望み。
今、坂口恭平の「自分の薬をつくる」という本を読んでいます。
坂口恭平さんの本、好きです。まだ「お金の学校」と「躁鬱大学」しか読んでないけど、この2冊は面白かった。今読んでるこの「自分の薬をつくる」は、前の2冊と書いてあることがけっこう被ってるので、ちょっと読むのに自分の中で勢いがあまりないけど、今日読んだところは、今書いてることにつながりそう。
「安定した力」と「不安定な力」の話。
坂口恭平は「不安定な力」が大きいみたい。不安定な力は、そのときの気持ちやいろいろで、発動したりしなかったりする。発動するとすごい力が出るけど、疲労度も高い。もともと持ってるのは「不安定な力」だけど、それだけに頼ってると、その力に振り回されてしまうので、「安定した力」をつけるために、「日課」というものの力を借りてるそう。
僕も同じ傾向がある気がする。
ブログが普段書けなくて、突然どーんと書けるときがあって、でもそのあとは続いたり続かなかったり。それは僕の中の「不安定な力」に頼って書いてるからかもしれない。
僕の望みである、自然に習慣としてブログを書く、を実現するなら、坂口恭平の言う「安定した力」を鍛えるといいのかもしれない。
その方法として「日課」にすること。
うーん、日課と習慣ってすごく似てそうだけど、何か違うのかな。
本をちょっと読み直してみる。うーん、ちょっとまだ分からない。いつもだったらここでブログにちゃんと方法を書くために本をしっかり読み直すんだけど、それをしたらブログがここで止まっちゃいそうで怖いので、今日は読むのはやめて、ブログを終わらせることに集中します。
そうそう、こういうの大事ね。
いいものを書こうと思って、頑張っちゃって、いいものにならなそうだから、やっぱりやーめたになっちゃうから。せっかくここまで書いたんだしね。
アップすることで、一人でも読んでくれる人がいて、へぇ~さとしってこんなこと考えてるだね、思ってるんだね、悩んでるんだね、って知ってもらえることは嬉しいことだから。
というわけで、今日はここまでにしておきます。
いつもよりも素直に書けた気がするから、今日は合格です。
「安定した力」の育て方については、今度また書いてみたいと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
さとし