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相手の意見は正しい

「人はそれぞれいろいろな考え方や価値観を持っている」なんてことをよく耳にします。だから相手の意見も聞きましょうという話です。

とはいえ私のばあいなんかは「アイツは間違いは許せん!」なんてことが起きたりします。「人はそれぞれ…」のくだりは理解しているつもりなのになぜこうなってしまうのか不思議です。

どうやら何者かが,賢者になろうと努力している私の邪魔しているのではないでしょうか。容疑者が浮かび上がってきたので一緒に捜査していきましょう。

容疑者

容疑者リストのなかで私がもっともアヤシイと睨んでいるのは「正・誤のモノサシ」です。ことあるごとにやってきては,それは正しい・それは間違っていると判断を始めます。

判断をする

ところで,人間はなにかにつけ物事にいろいろなモノサシを当てて判断を下します。「善・悪」「きれい・汚い」「格好良い・悪い」などなど。「正・誤」というのもその一つです。

この「判断」は,私達が行動の優先順位をつけるのに必要なものです。もしも優先順位を決めなければ,面倒なテスト勉強をサボることはなくなるかもしれません。けれど,大切な約束を後回しにしても平気,なんてことにもなってしまいます。

確かに反射的に判断をすることは余計な先入観につながります。しかしこの「判断」自体は私たちが社会の中で生きていくために必要な、知恵なのかもしれません。

正誤のものさし

「いろいろな考え方や価値観」と「正誤のモノサシ」は仲が良くない,という証言があります。

正誤の判断というのは,相反するものについて白黒をつけることだといえます。一方を間違っていると判定をすることになるため,どうしても対立が生まれてしまいます。

そもそも立場によって「正しさ」というのは変わるものです。極端な例えですが「戦争では英雄・社会では殺人犯」というのはそれをわかりやすく表現しています。判断するということは大切なことですが、「正誤のモノサシ」は場合によって少し扱いにくい問題児のように思えます。

相手は間違っている!

「私たちは多くの場合,自分の意見を正しい・あるいは妥当だと考えている」という社心理学的な視点を考えてみましょう。

人が反射的に判断を開始すると,「正誤のモノサシ」がさっと姿を現します。さっそく「自分の考えと比べて」正しいか誤っているか?という白黒判定を開始します。

つまり「正誤のモノサシ」の犯行は,【自分とは違う→間違っている】という道筋をたどり「相手は間違っている!」という判断をしてしまうことなのです。

相手は正しい!

犯行を防ぐにはこうした心の動きを逆手に取ってみると良さそうです。

「誰でも自分は正しいと考えている」のであれば,いっそのこと「私も,相手【も】正しい!」と認めてしまうという対処法はどうでしょう?違いを指摘するのではなく,吉田拓郎さんの歌のように「全部だきしめて」しまえばいいのです。

見えてくるもの

犯行を防ぐことに成功すると,よりはっきりと見えてくるものがあります。それはあなたと相手の考え方の「違い」です。

逆説的ですが,どちらも正しいと思うことで先入観が減り,間違いではなく差異に注目することができるようになります。「違い」を「間違い・誤り」ととらえるのと「(2つの意見の)差異・相違点」ととらえるのとでは似ているようで違います。

防犯カメラ

常に何かを選択しながら生きていく私達にとって,「判断」は欠かせないものです。自分自身の在りかたにとって「正しいのか?間違っているのか?」というのは重要な問題です。

しかし、新しい価値観にであったり他人と意見を交換する時など,モノサシが邪魔になることがあります。犯行を防いだり現行犯でタイホするためには時々,ココロの防犯カメラのチェックが必要なのかもしれません。


【真面目に考えちゃうという方におすすめ】


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