ヘーゲルの螺旋
18世紀ドイツの思想家・哲学者のヘーゲルで有名な「弁証法」はいわば螺旋状の進化といえます。どういうことでしょう。
ヘーゲルの弁証法
ある意見に対してそれを否定する意見をぶつけます。そのうえで両者の本質的なところを統合させ、意見にまとめるというものです(正・反・合と訳されています)あるやり方に対して相反する意見をぶつけ、よりよい解答を得ようねって考え方です。
使いどころ
身近な使い所はどこでしょうか。例えば、転職するかしないか迷っていたとき「転職する」という意見に対しては「転職しない」という意見をぶつけて議論してやります。漠然とした不満にも使えそうです。「現状維持・満足」に対して「現状打破・不足」という考えをぶつけてやります。
「最初からするしないで悩んでいるんだから、わざわざ挙げる必要ないだろう」と思うかもしれません。とはいえ、誰しも悩んでいる時ほどもやもやした感情で頭がいっぱになるものです。2つの意見をきちんと隣に並べてやると、スッキリするかもしれません。
弁証法による改善
つまり否定することで、それを含んだ新しい解答が生まれるのが弁証法です。「過去の経験を踏まえる」ともいえそうです。
たとえば、日本の義務教育を考えてみましょう。学校は学年とクラスにわけられていて、同じ教科書で同じテストを受けます。それに対して「個人のレベルに合わせた学習をするべきだ」という意見があります。これは現在の教育システムに対する「アンチテーゼ(反対意見)」です。
ところで、明治維新以前の「寺子屋」では基本的な読み書き算盤を始め、地理や歴史・古典などを教えていました。クラス分けはなく、年齢も人数もばらばらです。就学期間も自由なので、習う科目も進み方もみんな違います。先生の采配による個人指導といえるものだったようです。
じゃあ、個人のレベルに合わせた学習システムとは、「寺子屋に戻すこと」なのかというとそうではありません。新しい教育システムは「現在のあり方を踏まえつつ、寺子屋の良いところも採用する」が近い表現になるかもしれません。
螺旋状に進む
弁証法を使った解答というのは螺旋状に進んでいきます。これはどういうことでしょうか。一つのやり方は常に反対意見とぶつかることになります。たとえば、それを横(ある角度)から観ると右往左往しているだけよのうに見えます。過去のシステムの一部を取り入れるということは、上(別の角度)から観ると同じことをぐるぐる繰り返しているようにしか見えません。しかし、ちゃんと目的に向かって進んでいるのです。以前とはレベルを変えながら、螺旋階段のように次の階層へと登っていきます。
ヘーゲルの螺旋
何かの問題を解決するために、こうした螺旋のイメージを持つのは良い考えかもしれません。失敗を切り捨てるというより失敗も取り込み、過去の経験を活かすという感じでしょうか。弁証法の考え方を知っていれば、右往左往・繰り返しを否定する必要はなくなります。弁証法による螺旋のイメージは問題の解決に役に立ちそうです。
問題には発生までの経緯があり、ある一つの物事はそれ自身が矛盾を含んでいます。新しいものを選ぶという行為は古いものを否定することです。「ヘーゲルの螺旋」というとなんか格好良くないですか?実はこれをタイトルにしたかっただけのnoteでした(笑)
お付き合いありがとうございます。