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流行りの人類学史の第1章を読んで受けた3つの衝撃〜「サピエンス全史」まとめVol.1
ちょっとばかり前にブームにもなった(と僕は思ってる)「サピエンス全史」(上巻・下巻)
満を持して、ようやく入手したのですがこれが、
むちゃくちゃ面白い!
何がそんなに面白いのか?!
気になっていた方もいると思うので、面白いポイントを順番に整理していきたいと思います。
読みながら少しずつアウトプットしていくので、読み終わって振り返ったときにまた違う解釈や感じ方をするかもしれませんが、それもまた楽しみです。
今回は第1章から面白いと思った3つのポイントをご紹介。
<3つの衝撃>
①我が物顔で地球を闊歩している私たちホモ・サピエンスは、決して唯一の人類ではなく、ただの生物種にすぎない
②言語によって同じ神々を信じるようになったサピエンスはもはや最強説
③言語がもたらした虚構。部族社会の呪術師と現代の法律家はたいして変わらない?
①我が物顔で地球を闊歩している私たちホモ・サピエンスは、決して唯一の人類ではなく、ただの生物種にすぎない
種を表すとき、その学名はラテン語でつけられます。ライオンはパンテラ(ヒョウ)属のレオ(ライオン)種、そしてこのnoteを読んでいるあなたはおそらく、ホモ(ヒト)属のサピエンス(賢い)種だと思います。
私たちホモ・サピエンスも一つの生物種に過ぎないという自覚しにくい事実を認めるところから、この本は始まります。
私たちは自分たちが唯一の人類だとばかり思っている。それは実際、過去一万三〇〇〇年間に存在していた人類種が唯一私たちだけだったからだ。とはいえ、「人類」という言葉の本当の意味は、「ホモ属に属する動物」であり、以前はホモ・サピエンス以外にも、この属に入る種は他に数多くあった。(第1章 P17)
世の中にはたくさんの「もし・・・だったら」という話がありますが、そのなかでも屈指の「もし」として、著者は「異なる人類種が共存する世界」を取り上げています。これを想像するのはとても刺激的で、ちょっとゾッとするところさえありますね。。
もしネアンデルタール人かデニソワ人がホモ・サピエンスとともに生き延びていたら、どうなっていただろう?いくつか異なる人類種が共存する世界では、どのような文化や社会、政治構造が誕生していただろう? (第1章 P32)
私たちホモ・サピエンスだけになった世界が一万三千年ほど続いていますが、現生類人と非常によく似た動物が初めて姿を現したのはおよそ250万年前のこと。
私たちは唯一の人類種であることにすっかり慣れてしまい、進化上の兄弟姉妹がいないために、自分たちこそが万物の霊長であり、ヒト以外の動物界とは大きく隔てられているとついつい思い込んでしまうと、著者は語ります。
もし私たち以外にも人類種がいたとしたら、どんなふうに彼らと接したいいのでしょうか。。。今でこそ唯一でいられるホモ・サピエンスですが、いつ「新しい人類種」が生まれ、絶滅させられても不思議ではないとも言えます。私たちが他の人類種を絶滅させてきたように。
本当に私たちホモ・サピエンスが他の人類種を根絶やしにしたのかは定かではないそうですが、ホモ・サピエンスが新しい土地に着くたびに先住の人類種が滅び去ったことは事実のようです。
その「新しい人類種」についても、本の最後で述べられているそうです。楽しみ。。。!
②言語によって同じ神々を信じるようになったサピエンスはもはや最強説
人間を人間たらしめているものは何か?と問われたら、あなたはなんと答えるでしょうか?
道具?火?言語?
どれも正解です。
本著ではどれについても深く掘り下げて語られています。
例えば「火」の力は、ほぼ無限の力を制御できるようになったと捉えられます。例えば、たった一人では何もできなかったか弱い女性でも、火打ち石と火起こし棒があれば、わずか数時間のうちに森をそっくり焼き払うこともできるようになりました。そう言われると確かに凄まじい進展ですね。
しかしそれでも、15万年前のサピエンスは、依然としてライオンから逃げ惑い、火を起こして暖をとってなんとか生きながらえている取るに足らない生き物だったようです。ほそぼそと暮らすささやかな生物だったようですね。
サピエンスが強烈な存在感を放ち始めたのはそれから8万年後。その間のサピエンスは他の人類種に対してたいした影響ももたらすことはなかったそうです。ただし8万年後(今から7万年前)、サピエンスの複数の生活集団は海を渡ってオーストラリアへ渡り、一気にその繁栄の幅を広げ、その途中で次々と他の人類種を滅ぼし始めます。
この変化をもたらしたと思われるのが「言語」の登場です。
このように七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。(第2章 P35)
言語は危険を仲間に知らせる役割だったり、噂話によって大人数で協力するための社会的情報を得る役割だったり、重要な意味を持ちますが、最も重要な特徴は「まったく存在しないものについて情報を伝達する能力」だと著者は言っています。
つまりこういうことです。
人間の集団が自然な大きさには限界があり、150人以上になると人は親密な関係を築けなくなる(社会学的にそう言われています。これについてはネットワーク学の本で読んだことがありました)
↓
150人を超えると、人間は組織をうまく指揮できなくなり、集団としての危機を迎えてしまう
↓
言語によって虚構を信じる、つまり共通の神話を信じることができるようになり、150人を超えた膨大な数の見知らぬ人同士でも協力できるようになった。
近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根ざしている。(第2章 P43)
国民やお金はもちろん、人権も法律も正義も、虚構だと著者は述べています。これについて反論したくなる方もたくさんいそうな気がしますが、全て、私たちサピエンスが言い出した話であることは事実です。自然界には人権も法律も正義も何もありません。
その虚構を信じる力こそが、私たちホモ・サピエンスが他の人類種を駆逐し生き延びてきた理由ではないか、と本書は問うているわけです。
③言語がもたらした虚構。部族社会の呪術師と現代の法律家はたいして変わらない?
無宗教者が多い日本では特に、自分が虚構を信じているなんて考えていない人も多いでしょう。僕もその一人でした。
例えば「会社」も虚構です。法人という実際に存在しない対象を想定することで、ビジネスを個人に従属させずにすむようになりました。そしてそれは法人登記という手続き(儀式)を踏むことで、「会社」という存在を多くの人が信じることで成り立っています。
呪術師は霊や精霊の存在を唱え、満月の夜に焚き火に集まって踊りながら儀式を行います。その物語を人々が信じたとき、精霊の存在は虚構でありながら、その人々にとっては現実となります。
同じく、法律家は会社の存在を唱え、法的説明のあとに書類を揃え、書面の最後に署名をさせて手続きを行います。その物語を人々は信じているので、会社の存在は虚構でありながら、その人々にとっては現実となるのです。
またお察しの通り、信頼で成り立っている代表的な虚構がありますね。「貨幣」です。貨幣ももちろん虚構。存在もしないものを人々が認知して信じているから成り立っています。
貨幣の発明はこのあとの時代の話なので、虚構に関する話は、おそらくこのあとの章でも出てくるものだと思われます。言語の発達によって可能になったものとしてコミュニケーションばかりが挙げられますが、虚構を信じる力だというのはとても面白い指摘ですね。そしてその虚構こそが150人以上のサピエンスを団結させる力となり、他の人類種に比べて卓越した成長を遂げる結果につながるという話のようです。
従来の静的なパターンで協力する五〇人のネアンデルタール人は、融通が利く革新的な五〇〇人のサピエンス人には、まったく歯が立たなかった。そして、サピエンスはたとえ初戦を落としても、たちまち新しい戦略を編み出し、次の戦いに勝利を収めることができた。(第2章 P54-55)
第1章と2章しか触れることができませんでしたが、「虚構」の話を含めて、最初のこの話は根幹となる大事なところなので要チェックです。
実は、第3章の狩猟採集民の話、第4章のサピエンスが危険生物な話もむちゃくちゃ面白いのですが、長くなるのでまた次回!
つづくのです!
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