【自分史】中学の頃
今日も良い1日だね。
こんにちは。
さとるだよ。
たまにふと書きたくなるんだ。自分史。今日は中学~高校生時代。
以前書いた自分史はこちら
色んな理由もあり私が小学校卒業と同時に、沖縄の中部地区の嘉手納町から浦添市に引っ越した。
浦添は那覇市の隣にあって、田舎の嘉手納からみると異国。同じ沖縄でも地域によってかなり違うんです。
まず言葉使いが標準語に近い!それだけでも驚きだったよ。嘉手納町はバリバリの「中部訛まり」でしたから。。。。
引っ越先は当時、一番やんちゃが多い地域牧港でした。「転校生=いじめられる」という心配もあったけど、ワクワクする事もあったんだ。
それは小さかったけどアパート住まいになった事!
以前の記事でも書いたけど、嘉手納の家はトタン屋根の粗末な家だったんだ。それが幼心にすごくイヤだった。アパートならそれよりも見栄えが良くなる!それは楽しみだった。
アパートになったので他人に対する恥ずかしさもなくなり普通に友達を家に招待できる!と喜んだ記憶があるよ。
さて、中学生活だけどハッキリ言って・・・楽しかった記憶しかない!!!
普通なら間違いなくいじめられる転校生なのに当時のやんちゃな子とも仲良くなった。おかげで他校からのいじめも受けなかった。
当時は牧港小学校、浦添小学校の2校が合流する中学だったんだけどマンモス校でした。確か・・・一学年13組まであった。今だと考えられないよね。一学年13組って。
私の通う浦添中学はスポーツが強く当時はそうそうたる成績を出している地域。
私は当時は水泳も続けていた。色んな出会いで首里プールで代表クラスの人たちと練習させてもらってた。
水泳では今でもお付き合いいただいている先輩方もいる。自分より年上の人が多かったので色んな事を教えてもらった。
でも残念ながら、私は泳ぐのが遅かったので水泳自体はあまり楽しめてませんでしたね~。でも先輩方とおしゃべりしたり過ごした時間が宝物でした (^_^)
水泳は浦添から首里まで送迎してもらった両親に感謝です。中途半端に遠いんだよね。
でも・・・本音は水泳は辞めたかった。当時は音楽とバスケットが私の中で大きな存在になってた。本音を言えば心底バスケットがしたかった。
バスケット部の顧問からもぜひ来い!と言われていたし、陸上部の顧問からもぜひ来い!と誘われてた。
水泳の記録も伸びずキライになりかけていた時期でもあったので正直、今でもなぜバスケに行かなかったか?後悔してる。
今考えたら、水泳の先輩方と過ごす事が大事だったんだろうな。まぁ、でも過去は変えられないのでしょうがないね。
今に続く音楽との出会いがあったのも中学の時。
中1で友達になった同級生からいきなり「バンドをやらないか?」と誘われた。それからずっとベースを弾いている。
当時レコードを聴いても、どれがベースの音か分からなかった。それくらい音楽の事を知らなかった。
その同級生の家でレコードを聴いたり、お兄さんにライブに連れて行ってもらったりと今考えても恵まれていたなぁ。
水泳に嫌気がさしていた中、親にベースギターも無理言って買ってもらった。チャンスをくれた両親には本当に感謝しているよ。
中3は自分の人生の中でも最高に楽しい1年だった。間、恋愛、遊び、勉強どれも充実していた。思い出補正を考慮しても人生の中でも一番楽しい時期だった。
そんな充実した中学生時代→ 高校受験。
受験は当時の実質の1期生になる沖縄尚学高校に合格した。成績は中の中くらいだったんで必死に勉強した。今考えても頑張ったと思うよ。
そして「高校」という新しい生活が始まろうとしていた。
最後まで読んでくれてありがとう。
また明日♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?