「人々の生態系を育む」と個人名刺に書いた僕が、子どもたちの育ちと学びに関わる事業を担うにあたって思うこと

 1週間ほど前に、個人の名刺をつくった。noteでも連載をしかけている高時川の洪水を機に、所属する組織としてではなく、個人として社会的な活動を行うことが生じたからだ。
 ただ、いざ名刺を作ってみると、名前と連絡先だけでは味気ない。自分を表す一言を右肩に入れたくなった。しばらく考えた末、「人々の生態系を育む」と記した。

 このキーワードは、これまでの人生を通じて、自分の中で熟した言葉だと思う。

自然の生態系と、社会の生態系

 僕は子どもの頃から、生態学に親しんできた。父とその仲間が主催していた観察会に何度も参加もしたし、自分でプランクトンや魚や水鳥の観察や調査もしてきた。
 その中でわかってきたことは、多様な生き物たちは大小、短長、さまざまなスケールで常にせめぎあいをしていること。生命がつながりあい、「変わり続けること」によって、森や湖が「変わらぬ姿」としてそこあるということだった(こういうものを"動的平衡 "と言ったりするらしい)。
 一つ一つの生き物たちは、それ単独としてその一生をすごすのではなく、すべてのつながりのなかで、その生命を全うしている。僕が観察会で特に惹かれたのは、そうした生態系のシステムの妙だった。

 システムの妙は、自然界だけにあるものではない。当時まだ僕の身近にあった暮らしのありようにも、僕は惹かれた。特に、家の隣で住んでいた、祖父の弟さんの暮らしがまさにそうだった。
 "新家のおっちゃん"と僕らが呼んでいたその人は、奥さんと二人で暮らしていた。主ななりわいは小規模な農業。「百姓」という言葉が似合う人だった。
 生活が近代化していた昭和50年代でもまだ、おっちゃんは昔ながらの生活をしていた。煮炊きやお風呂は藁や薪。灰や、し尿は、肥やしとして畑にまいていた(ちなみに彼が育てたお茶は、なんど煎れても味が薄くならないと、近所でも評判だった。その理由はおそらくその下肥にあっただろうと母は言っていた。)
 おっちゃんの家では、ゴミになるものはほとんどなかった。稲藁は、燃料になるだけでなく、縄にもなった。広い土間に置かれた縄縫い機で、おっちゃんがせっせを藁をくべて縄を作っていた様子を今で覚えている。なんでも自分で作ってしまうことがかっこよくて、子ども心に憧れた。後に僕が大工の見習いに入ったのも、そうした彼への憧れがあったからだと思う。
 おっちゃんは物をあまり持たなかった。その代わり、人にものを借りたり、頼ったりした。たとえば、近所の人が敦賀までバス旅行をすると聞けば、途中まで乗せてくれと頼んで、敦賀まで乗せていってもらった。しかもよそ行きの服と靴は、兄(祖父)に借りていった。サイズが合わなくてガバガバだったが、彼は一向に構わなかった。
 そんな彼のことを、近所のみなさんは迷惑がることもなく、喜んで協力を していた。そうして貯めた稼ぎは、神社やお寺へと寄進をされていた。
 おっちゃんは、自然の循環の一部に身を置いていた。人のつながりの中に身を置いていた。おっちゃんは、自然の生態系を守りながら、社会の生態系も育んでいた。

つながりの分断と、再生

 しかし、以前にnoteでも書いたように、僕が野鳥を観察していた余呉湖をはじめ、あちこちで自然に手が入れられていった。
 使い捨てが蔓延するようになり、ものを大切に使い回すことは「貧乏くさい」と敬遠されるようになった。
 さらに使い捨ては、人間に対しても起きるようになっていった。使える人間と使えない人間、勝ち組と負け組と選別が起こり、分断は深まっていった。
 そのたびに、僕の心は痛んだ。

 開学したばかりの滋賀県立大大学で環境学を学んだ。自治会的な活動も行った。卒業後は茨城のNPOで働いた。地元に戻って大工修行をした。個人事業主として地域の活性化に取り組んだ。今振り返るとその間、ずっと求めていたのは、分断されていく自然と社会のつながりを、回復させたいという思いだった、と、今振り返って思う。
 そんなぼくが、今の職場、碧いびわ湖にたどりついたのは、きっと必然だったのだと思う。碧いびわ湖の原点は、生協運動であり、せっけん運動。市井の多様なひとびとがつながりあい、暮らしを支え合い、自然を再生しようと、自治する組織。そこには、ぼくが求めていたつながりの再生があったからだ。

 そして5年前だったと思うが、「人々の生態系」という言葉を使う人に出会った。静岡県立大学の津富宏さん。大阪でたまたま聞いた講演で、大きな衝撃を受けた。津富さんは、若者の就労支援の分野で「静岡方式」と呼ばれる伴走型支援型を形にされた方。誰かの困りごとを起点に、支援ー非支援という関係を超えて、人と人とが互いに助け助けられる関係を育まれてきた。
 その理論背景に、「人々の生態系」という概念が置かれていたのだ。さらにその話は、南方熊楠の「萃点」の話にまで広がっていた。(講演の録画が見られるので、ぜひご覧いただきたい)
 あぁ、僕が目指してきたのはこういうことだったんだ!と、目から鱗が落ちた。
 課題や欠損は、マイナスだけでないということ。マイナスであるがゆえに、人々のつながりの起点となり、やがて豊かなつながりを形成することにもなりうるのだと気づいた。

 以来、「人々の生態系を育む」という概念は、僕の中に言語化されて常駐するようになった。2021年からはじまったマザーレイクゴールズ(MLGs)の検討にあたっても、津富先生に滋賀までお越しいただき、関係者の皆さんにお話をしていただいた。「MLGsアジェンダ」の概念に生態学的な図をいれてもらえることになったのも、そうしたプロセスの結果だ。(佐藤祐一さんが書かれたMLGsの紹介記事の図3参照)

「できない」を開示することが人々の生態系を育む

 さて、今日から、休眠預金を活用した助成事業の公募を開始した。碧いびわ湖としては初めての、助成事業の公募だ。準備には約1年以上をかけ、多くの当事者、支援者、専門家の方々などにお話を伺った。
 そして「あらゆる子どもの育ちと学びを支える地域総動」と題したこの事業でも、やはり「人々の生態系」を育む、ということに主軸を置くこととなった(詳細は下記リンクより)。

 僕の経験と知見によれば、ある種の生物が絶滅の危機に瀕する際の大きな要因は、その種がもともと弱いとか劣っているからではなく、その種が生息する環境が破壊や汚染などで劣化することによるものだ(乱獲なども要因とはなるが)。
 環境さえ整えば、自ずとその生物は回復するように、子どもや若者たちも、育つ土壌が豊かであれば、彼らは自分で育っていくことができるはずだ。
 あぁ、そういえば僕の母校の滋賀県立大学、初代学長の日高敏隆さんも「人は"育てる"ものではない、みずから"育つ"ものだ」ということを、事あるごとにおっしゃってくださっていたと、今思い出した。

 いま、学校、あるいはこの社会に生きづらさを感じている子どもや若者は、彼らが弱いとか劣っているのではない。彼ら一人ひとりに適した環境がない、という、環境側の問題だ。僕はそう捉えている。
 社会的な動物である人間にとって、もっとも重要な環境、それは「他者」である。孤独では生きていけない動物である私たちには、理解者、伴走者、見守ってくれる人、の存在がどうしても必要だ。
 しかし、いま、親も、教員も、「養育者」としての役割、「指導者」としての役割に追われがちで、子どもたちの理解者、伴走者になることが難しいようだ。
 そして保護者もまた、理解者や伴走者を得られていない場合も多いようだ。

 新家のおっちゃんのように、近所の人にものを借りたり頼んだりすることは「恥ずかしい」とか「厚かましい」と思って、なかなか実行に移せないのではないだろうか。

 でも、僕らは、もっと開いていいのではないかと思う。
 自分の困りごとも、悩み事も。
 もっと、頼っていいのではないかと思う。
 そうやって、自分の「できない」を起点に、人々の生態系を育んだらよいのではないか。

 そうやって大人が、他者に頼ることを実践して見せることで、子どもたちも、ひとに頼っていいんだ、と思えるのではないか。子どもたちが生きやすくなることにもつながるのではないか。

 最近、若い人に会うたびに、他人に頼ることがいけないことだと感じているように思うから、その事を強く思う。

 どんどん、自分の「できない」を、開示していこう。
 そこに、人は集まる。
 そこから生態系が育つ

 いつでもどこでも、誰かが誰かの理解者になり、伴走者になることができる社会。
 いつでもどこでも、理解者や伴走者を得られる社会。
 そんな社会が、子どもや若者の育ちを支えられる社会ではないかと思う。
 自分が支える立場にならなくても、支えられる立場になることでも、人々の生態系は育めるはずだ。

 「できること」に主眼を置いてきた自分自身への自戒も込めて、ここに書き記しておく。

ビオトープづくりの体験から

 僕は茨城県のNPOで、ビオトープ池づくりにも携わった。ビオトープとは、生き物たちのすみかのことだ。

 ビオトープ池は、こんな風につくる。
 グラウンドに深さ30cmほどのゆるやかな傾斜のくぼみをつくる。水がもれないようにビニルシートを張り、土を10cmほどかぶせて、水をはる。地元の自生の植物を植える。地元のメダカを少しだけ入れる。以上、おわり。
 あとは、勝手に生き物たちが集まってくる。何も持ち込む必要はない。プラクトンも、虫も、カエルも。彼ら同士が勝手につながりあい、循環が形成される。水はいつもきれいにすんでいる。ゴミとなって淀むものはない。生態系がぐるぐると周り、淀みがなくなるからだ。
 たまに手入れは必要ではある。草が伸びて水面が見えなくなると、トンボがやってこなくなる。だから少し草を刈る。みたいに。でも、それは、「整える」程度の話だ。あとは生き物たちが勝手に調和を作ってくれる。

 社会だって、そんな風になりうるはずだ。僕ら一人ひとりの中に、全体の調和をつくる力が備わっているからだ。
 全体を見て、整えることはたまには必要かもしれない。でも、それは最小限でいい。
 いまは、なにか基準や枠組みをつくって、そこに押し込め、コントロールしようとしすぎるから、おかしなことが起きているように思う。

 僕らは、自分自身の感性を、もっと信じていいと思う。
 子どもたちが、自分たちで社会を作る力を、もっと信じていいと思う。

 僕ら自身の中にある自然を、もっと、信じていいと思う。

 僕ら自身が自分に正直に生きることが、子どもたちに与えられる勇気と希望ではないかと思う。

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