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パリへ、徒歩で。

ロッテ・アイスナー

最近、映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの著作である、"Of Walking of Ice"が気になっていた。序文でヘルツォーク自身が言っているのは、これはそもそも読者を想定していた文章ではなかったということだ。パリに徒歩で向かう道程で、日付で区切る形式で記されたものとなっているため文章も100ページ未満で決して多くはない、と言っても2週間ほどの行程であったことを考えるとそれなりの分量ではあるだろうか。

この本が気になっていた理由というのは、以前ある噂を聞いていたからだった。誰からだったか定かではなく真偽も不明ではあるのだけど、ヘルツォークが映画についての講義を行っており、その一番初めの講義で出される課題というのが「大陸を徒歩で横断しろ」というものらしい、ということを耳にしたのだった。ヘルツォークが講義をしているのはオンラインでの話だし、そこでされた話であれば例え話に使ったものではあると思うが・・・地球上のどの大陸だとしても本当に横断するとは思えない。それとも、オンライン講義以前に開いていた私塾でのことだろうか。とはいえ、要するに、映画を作り続けるという行為はそれくらいの心づもりと粘り強さがなければ作れないというような話だったのだではあるまいか?(とその場では思うようにした)とにかくその話を聞いた時、ヘルツォークという人は、正常な判断力に従えばストップするような場面、言い方が難しいが「確かに可能かもしれないけど普通やらないでしょう・・・」とドン引きしたくなる場面で、淡々とゴーサインを出し煮え滾るエネルギーでそれをクリアしてしまうような、常軌を逸した一面を持っているのだと再確認したのだった。映画でも"フィッツカラルド"で船を山越えさせようとしたり、"アギーレ/神の怒り"で濃霧や急流を超えつつ黄金郷を目指して装備した遠征軍を山越えさせようとしたり・・・何らかの意味が、歩く事とヘルツォークとの間にあるのかもしれない・・・この本に何か書いてあるかもしれない・・・。

ミュンヘンからパリへ

事の発端は1974年11月末、盟友が重病である旨の電話がある友人づてにあったことだったという。

"I said that this must not be, not at this time, German cinema could not do without her now, we would not permit her death...."

ドイツ映画シーンを一緒に引っ張ってきた友をここでなくすなんてことが許されるわけはない。自分がパリまで(最も近いと思われる距離を、コンパスを使いながら)歩いていけたとしたら彼女はきっと助かるに違いない・・・。そんな信念のもと一人歩き出すヘルツォーク。序盤から、彼女の事を思いながら独白している「彼女は死んではならない。あとで、おそらく、私たちが彼女の死を許した時に(死ぬのだ)」という箇所など鬼気迫る感じで絡め取られてしまい、次々に読めてしまうようだ。




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urotas
読んでいただけただけで十分です。ありがとうございます。