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日本へ無事に帰ってきました
こんにちは。遠藤暁(@str_se)です。
先日、無事にボリビアから日本へ帰ってきました。コロナの影響で全世界の協力隊員が全員日本へ帰国するという、前代未聞の展開。
かなりバタバタしましたが、なんとか帰ってこれたので本当によかったです。
こうして無事に帰ってこれたのも、JICA職員の方たちが迅速に航空券を手配してくれたおかげ。協力隊員は本当にJICAによって守られているなと、あらためて強く実感する出来事となりました。
日本に帰ってきたちょうどその日、ボリビア大使館から一通のメールが。
詳しい内容は以下のツイートを見てほしいんですが、ザックリいうと「2週間の外出禁止令」がボリビアで出されたということ。
本当に危機一髪でボリビアから出てきた感じ。
— 遠藤 暁/Satoru Endo (@str_se) March 21, 2020
迅速に航空券を手配して帰らせてくれたJICAの職員の方たちには、頭が上がりません。
あらためて、協力隊はJICAによって守られているなど強く実感しました。
こうして無事に帰ってこれたのも、当たり前じゃない。 pic.twitter.com/ihxgDVWlXw
外出禁止令が出される直前にボリビアを出て日本に帰ってこれたので、本当に間一髪でした。とはいえJICAボリビア事務所の職員さんたちはまだボリビアに残っているので、その人たちのことを考えると本当に心配になりますし、ボランティアだけ逃げるようにして帰ってきたという申し訳なさも感じてしまいます。
職員の方たちも無事に帰ってこれることを願います。
さて、ボリビアからバタバタ帰国してようやく落ち着いてきたので、このnoteでは帰国に至るまでの経緯をザックリ振り返ると共に、いまの自分の心境も書き残しておこうかなと。
このnoteを読みながら、現地でどんなことが起こっていたのかイメージしてみてください。
✔️ピースコー(Peace Corps)全員アメリカ帰国あたりから、ざわつき始める
コロナが世界的な拡大を見せ始めたものの、南米には比較的遅い段階で入ってきたしボリビアでも感染者は拡大していない様子だったので、正直にいうとあまり深刻には捉えていませんでした。
ただボリビアで感染者が出てからは、学校の休校措置がとられたりぼくの配属先のサッカークラブの練習を中止にしたりと、協力隊としての活動にも支障が出てき始めたんです。
でも「まぁしょうがないよな」程度に考えていたんですが...そこでとあるニュースが飛び込んできました。
「ピースコーが全員帰国」
ピースコーとは、アメリカのボランティア団体。アメリカ版のJICAみたいな感じですかね。
気になるひとはググってみてください。
JICAと同じように世界中にボランティアを派遣しているピースコーが、全隊員をアメリカに帰国させるというニュース。それを聞いたときに「JICAもそうなるんじゃないか?」とざわつき始めます。
そしてそれが見事に的中していくかのように、アジアや中東の国々の隊員が徐々に日本への帰国を始める。
ボリビア隊員が帰国を知らされる前に、すでに何ヵ国も帰国になっていたんです。
その段階で個人的には「ボリビアの隊員も帰ることになるだろうなぁ」と考えていたため、ちょっと荷物整理を開始(偉いぞ自分)。
そしてボリビア時間の3/17日にボリビア隊員全員の帰国が知らされ、ほぼ同時に「全世界の協力隊員の一時帰国」というニュース記事も出されました。
✔️帰国が言い渡されてからは、怒涛の展開
17日に事務所から言われたのは、「20日の便で帰国」ということ。その時点で、帰国まで3日しかない。
しかも19日に任地を出て国際線が発着している他の都市へ向かうとのことだったので、実質任地で過ごせるのは18日のみ。
しかしある程度のパッキングを済ませていたぼくは、落ち着いてカウンターパートや配属先のコーチたちに連絡。すると「じゃあ明日(18日)の昼に送別会をやろう」とカウンターパートが言ってくれました。
そして17日のうちにすべてのパッキングを済ませ、余裕を持って18日を迎える。
しかし18日の午前にボリビアのフライトシステムがキャンセルされ、20日に予約していた帰国の便がすべてキャンセルされるというまさかの事態。
職員の方たちが急いで再びフライトの確保を行ったものの、一部のボランティアの分の航空券がどうしても確保できず、何人かのボラティアはまだしばらく任地に残ってもらうということに。
つまりボリビア隊員のなかでも、『帰れる隊員』と『帰れない隊員』に分かれたということですね。
ちなみにその時点でぼくは「帰れない隊員」でした。
帰れませんと言われたときは、こんな表情になったと記憶しています。
まぁ帰れないのは仕方ないことなので、しばらく任地に残るということをカウンターパートに報告。
すると「じゃあ週末にちゃんとした送別会をやろう」と言ってくれて、18日の昼に予定されていたぼくの送別会は週末に持ち越されました。
送別会がなくなったし、しばらく任地にいるということだし、なんだか妙に落ち着いてしまったぼくは、完璧に荷造りした荷物を荷ほどきして一旦昼寝することに。
そして、忘れもしない、14時ころ。昼寝をしていたぼくは、一本の電話で目覚めました。
その電話は調整員さんからで、内容は「今日16時コチャバンバ(ぼくの任地)発の便でサンタクルス(国際便が発着している都市)に移動できますか?」と。
16時発と聞いて時計を見たぼくは
え?16時?2時間しかないやんけ!!
と驚き。
午前にフライトがすべてキャンセルされてしばらく任地に残るということになったのに、突然すぎる連絡。
きっと急に飛行機のチケットが取れたので、とにかく日本に返すためにその便に乗って欲しかったんだと思います。
しかし調整員さんは本当に優しくて、「16時発の便は乗れそうですか?」と、「乗れるか乗れないか」の選択肢をぼくに残してくれていたんです。
でもぼくの中ではそれを「断る」という選択肢はなく、ただ「いけます」と返事をしました。
電話が来てから飛行機に乗るまでの2時間は、めちゃくちゃバタバタ。
荷ほどきした荷物をもう一度詰め直し、カウンターパートに「2時間後に飛行機乗らないといけなくなった」と連絡し、ホームステイ先の家族に「もう日本に帰らないと」と伝え。
カウンターパートはぼくからの連絡を受けて、ぼくの家まで車で来てくれて空港まで送ってくれました。
でもホームステイ先の家族のお父さんは仕事にいっていたため、最後に会うことはできず。カウンターパート以外の配属先の他の同僚たちにもあえず。
ちゃんとお別れできたのはカウンターパートくらい。別れを惜しむまもなく、空港でのチェックインを済ませて飛行機に飛び乗りました。
1年9ヶ月一緒に活動してきた配属先や任地を、こんなにもバタバタと出ていくことになるとは予想もしていませんでした。
でも誰かが悪いわけじゃないし、JICAの職員さんたちもボランティアを日本に返すために必死に動いてくれているのは十分想像がつく。
ちゃんとお別れもありがとうもいえなかったのは残念ですけど、仕方ありません。またいつか任地に戻って、お世話になった一人ひとりにちゃんと挨拶して回ろうと思います。
というわけで、バタバタと任地を飛び出してなんとか無事に日本へ帰ってきたというわけです。
✔️多分ぼくはもうこれで任期終了
ここからは少し、個人的なお話を。
ぼくは2018年度1次隊として、2018年の6月末にボリビアへ派遣されました。
つまりぼくの任期は今年の6月末まで。現時点で残り3ヶ月ほど。
コロナの収束にどれくらい時間がかかるか分からないため、ボランティアがいつそれぞれの派遣国へ戻れるかは未定。
しかもボリビアに関しては、5月に大統領選挙が控えています。昨年10月に行われた大統領選挙で国の治安が悪化していろいろと問題がおき、3週間の自宅待機と2週間の避難生活がありました。
なので仮にコロナが1ヶ月程度で収束して4月末に他の国のボランティアが任地へ帰れるとなったとしても、ボリビアの場合は「大統領選挙が終わるまでは帰れない」という状況になる可能性が非常に高いと考えています。
そうなると、ボリビア隊員がボリビアへ帰れるのは早くても5月中旬。仮にその時期に任地に帰ったとしても、ぼくの残りの任期は一ヶ月ちょっと。
そんなに残りの任期が少ない隊員を再派遣するかどうかは、疑問です。
なので個人的には、もうボリビアに帰れる可能性はほとんどないと思っています。あくまでこれはぼく個人の考えでしかありませんけどね。
でも今回の件で帰国が決まった際に、調整員さんから「2018年度1次隊のみなさんはボリビアに帰ってこれる可能性は低いので、もう帰ってこないつもりで荷造りをしてください」と言われています。
ぼくももうそのつもりで任地を離れてきましたし、カウンターパートにもそう言ってお別れしてきました。
なのでこれから何をやるかも、考えていかないといけませんね。
まさかこんな形で任期を終えるとは思っていませんでしたけど、もうしょうがない。切り替えて次に進むしかありません。
とはいえ、これからなにをするかは急いで決めないといけないわけでもないので、まずは自宅でゆっくり休みつつ、今後についてじっくり考えていこうと思います。
✔️協力隊員はJICAに守られているという安心感
最後に少しだけ。
今回の緊急帰国を通して、協力隊員は本当にJICAに守られているなと強く感じました。航空券の手配などの迅速な対応も、JICAという大きな組織だからできたのかなと。
こうして無事に日本に帰ってこれたのも当たり前じゃありません。
JICAや職員さんに、本当に感謝します。
ありがとうございました!!