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「知らない」って、実はとても損している

こんにちは。遠藤暁です。


何度も海外に足を運んでいろんな世界を知ってきたなかでぼくが感じること。

それは「知らない」ということは本当にもったいないなということ。


当然ですけど、人間って自分が知っていることの範囲でしか物事を判断できないし、自分が見たことのある広さの視野・視点しか持てません。

例えば2018年の2月から5週間程アフリカのエチオピアに行ったとき。
エチオピア料理の主食は「インジェラ」というものなんですけど、これはぼくからするとまったく美味しくない(笑)

でもエチオピアの人たちはそれを毎食ご馳走のように食べますし、なんなら「インジェラを食べれない日本って、かわいそうだな」と言ってくるほど。

でもそれもそのはずで、彼らはエチオピアの外に出る機会なんてほぼないから、「エチオピアの中の範囲の事」でしか世界を見れないんです。


ぼくは日本料理も知ってる上でそのインジェラを食べたので、インジェラは全然美味しく感じませんでした。
でも彼らはインジェラしか知らないので、「インジェラ=1番」という構図にしかならないんですよね。


これと同様のことっていろんな場面で起こると思うんです。


日本の外に出たことがない人は、日本の中での世界観でしか物事を判断できない。

例えば日本人は「時間を守る」と言われていますけど、「開始時間」をキッチリ守るだけで、「終わる時間」は守られないことなんてたくさんありますよね。

会議とかミーティングで、開始時刻に5分でも遅れると怒られる。
でも終了時刻は1時間も2時間も遅くなる。
日本だとそんなことってよくあるじゃないですか。


でも海外は、開始時刻に遅れてくる人はたくさんいるんですけど、終了時刻って意外と守られるんですよ。

多少遅れることはあっても、終わる時間が1時間も遅れるなんてまずありません。


日本人が海外の人を「時間にルーズ」って言うのは、開始時刻に遅れる部分しか見てない。
海外の人たちからしたら、終了時刻が遅れることだって「時間にルーズ」ですからね。


そうやって日本の視点も海外の視点も持てれば、理解できる範囲も広がるんです。

日本人としての視点も海外の人からの視点も知っていればそれだけいろんな考え方ができるし、日本人の感情も海外の人の感情も理解してあげられるようになります。


これはどれだけたくさんのことを自分の目で見て、知れているかの違い。
文化、習慣、宗教、価値観、生活水準。
いろんなものを「知っている」ことで、自分の視野がパッと広がる。


判断基準や考え方の範囲を広げるために、日本の外に出て自分の目でたくさんのものを見て、知っているものを増やす。

ぼくはこれからもそれを続けます。


まだまだ世の中には知らないことばかり。
知って知って知りまくって、自分の視野をもっと広げていきます。


知っているか、知らないのか。
たったそれだけの違いで、視野の広さや物事の判断基準の範囲はとてつもなく変わります。


「知らない」って、とても損しているんですよ。


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