見出し画像

その立場の気持ちや感情は、その立場に立たないと分からない

こんにちは。遠藤暁です。


協力隊のサッカー隊員として活動し始めてから、もうすぐ5ヶ月。
ボリビアに来てからはもうすぐ6ヶ月になります。


小さいときから15年以上サッカーをしてきましたが、自分がチームの「監督」として公式戦を行うのは、実はボリビアに来るまで経験したことがありませんでした。


サッカーの「プレイヤー」としての立場はこれでもかというくらい経験しましたが、「監督」という立場は未経験。


要するに、プレイヤー目線からみた監督の気持ちや感情は何度も考えたり勝手に想像したりしてきましたが、「監督目線での監督の気持ちや感情」はまったく分かっていなかったんですよね。


で、その「監督目線での監督の気持ちや感情はまったく分かっていなかった」ということに気づけたのは、自分が実際に「監督」をやったからなんです。




例えば試合のフォーメーションや出場する選手を決めるときなんて、選手のときは「なんでこのフォーメーションなんだよ」とか「なんで俺ここのポジションなんだよ」とか、監督の決定に対して不満を抱いていたこともありました。

まぁそんな器の小さい選手だったからプロになれなかったんでしょう(笑)



でもいざ自分が監督をやると、どのフォーメーションにしてどの選手をどこに配置してどうやって戦うか、めちゃくちゃ考える。

監督がそんなに必死に考えているということも知らずに、選手時代のぼくは不満を持っていた。



監督を経験してみてその気持ちや感情を理解できる今となっては、選手時代の自分のケツを蹴り飛ばしたいですね。


監督の気持ちや感情は、監督をやった人にしか分からない。



これってすべてのことに言えると思うんです。



例えば協力隊としてボランティアで海外で活動するひとの楽しさ・辛さ・葛藤なども、協力隊を経験したひとにしか分かりません。

経験しなくてもある程度想像したりすることはもちろん可能ですけど、それにはやっぱり限界がある。



サッカーのコーチをやってきた中で、たくさんの子どもやその親たちと関わってきました。


かなり過保護な親とかいちいち口出しする保護者も結構いるんですよ。




ぼくからしたら「なんでそこまで言うんだろう」とか「もう少し子どもに自由にやらせてあげればいいのに」と思うこともあります。


でもきっと親からしたら自分の子どもはほんとに宝物のようなものだから、大切にしたくなるあまり、逆に言い過ぎてしまったり過保護になったりするんでしょう。


どれだけ子どもとたくさん関わっても、毎日子どもと関わっているといっても、自分の子どもは持ったことがないので、「親」としての気持ちや感情は自分が親になるまでわかりません。



男性の気持ちは男性にしか
女性の気持ちは女性にしか
難民の気持ちは難民にしか
テロリストの気持ちはテロリストにしか
わからないもの。


本当にその立場を理解するには、実際にその立場に立つしかないんだと思います。


たとえいくら「難民の立場になって考えてみた」といっても、実際にぼくが難民になることはありせん。

画像1

エチオピアの難民キャンプで撮った写真。俺なんちゅう顔してんねん。


結局なにが言いたいかというと、「相手の立場にたって物事を考える」ということは、もちろんとても大切ですけど、限界もあるってことです。


もちろん「相手の立場になって考える」ということをやめるわけではありません。
その視点はとても重要ですから。


でもいろんな立場からの視点を持ちたいしいろんな立場での感情を知りたいから、これからもできるだけいろんなことをやっていろんな立場に立ってみようと思います。



ではまた!!

いいなと思ったら応援しよう!