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価値観は認め合うもの、というぼくの価値観

こんにちは。遠藤暁です。



twitterなどのSNSや普段の会話の中で、「価値観」という言葉はよく耳にします。


海外で生活し始めてからも、自分と現地の人たちの「価値観の違い」はたくさん感じます。




日本人同士でさえその違いは感じるのに、国も文化も風習も異なれば価値観の違いが生じるのは当然のこと。


ところがこの価値観って、ときにはどっちがいいとか悪いとか、意見がぶつかったり誹謗中傷の対象になったりしてるのをよく見かけるんですよね。


でも価値観ってそもそも正しいものなんてないし、自分の価値観は自分のものとしてしっかり持っておけばそれでいいと思うんです。



例えばボリビアに来る前に親戚の人とご飯を食べていたとき

「日本っていうめちゃくちゃキレイでなにも不便がない場所にいるのに、わざわざ途上国にいって不便な生活をしようとする意味がわからない」

と言われました。


別に怒られたわけでも嫌味を言われたわけでもありません。

普通に笑いながら言われて、そのあとに「それでも途上国にいく暁はすごいと思う」とも言ってくれたので。


でもこの価値観って、どっちが正しいかなんて決められませんよね。



日本が快適と思っている人にとっては、海外にいく意味がわからない。


ぼくは海外の不便な部分を感じるのも楽しいしいろんなものを自分の目で見たいから、海外へいく。

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どっちの価値観を持っていたっていいんです。


ただ「価値観」とは、押し付けあうものでもなければ優劣をつけるものでもなく、自分のものをしっかり持って、お互いのそれを認め合うもの

それが「価値観」ですよね。

育ってきた環境やいま置かれている状況、経験してきたことの中身によって、一人ひとりの価値観がちがうのは当たり前。



むしろ自分とまったく同じ価値観を持っているひとなんて一人もいません。

だからちがう価値観の人といちいち口論したり優劣つけようとしてたら、もう人生のほとんどの時間をそれに費やしちゃうんじゃいかってくらい、時間がかかる。


お互いの価値観をもっと認め合うっていう習慣がつけばいいのになぁと思っています。



自分自身でいろんな経験を積んで価値観を変えていくことは結構簡単にできますけど、ほかの人の価値観をそのまま自分のものにしろって言われても無理ですよね。


それぞれが持つ価値観を語り合うぶんにはいいと思いますし、むしろいろんな人の価値観に触れるのは面白いのでぼく自身も好きです。


でも自分の価値観を相手に押し付けたり、相手の価値観を否定したりするのは、なんか違うんじゃないかなって思うんですよ。


まぁこの考え方自体ぼくの価値観から生まれたものなので、理解できない人も賛同できない人も共感してくれる人もいることでしょう。


100人いれば100通りの価値観がある。
それぞれの価値観をもっと認め合っていきたいですね。という、ぼくの価値観のお話でした。



ではまた!!

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