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白血病。

急性リンパ性白血病。
3月18日は、僕にとって大事な日です。
うそをついているわけでも、だますつもりでもないけど、隠してうそをついてきた20年以上。
言うことと、言わないことのリスクを考えると、言わないほうがいいのはわかっている。
数人ですが、告白しようと思うと相談しました。
賛否両論あって、応援してくれると言う人もいれば、わざわざマイナスになることを言う必要はないという人もいました。
小学校の時のことですけど、本当の自分を出したら、きらわれるんじゃないか。
まぁあからさまに変わることも、結構あるんですけどね(笑)

→これは、フェイスブックで2017年の3月に投稿したものです。
なので、多分2019年の今だと文章が変です(笑)
本当はここを大文字にしたかったんだけど、何度やっても出来なかった(>_<)

つづき
→今も、文章を打ちながら、止まったり進んだり。

生きてきた中で、一番の告白。
自分のことを気持ち悪いと思って、もう店に来てくれなくなるかもしれない。
うーん、指が動かない。
いつも、わたわたしてて、テンパってて、はしゃいでる、さとるを、どこか演じてて、相手の懐に入るにはどうしたらいいんだろう、好かれるより、嫌われないためにはどうしたらいいんだろう、無意識で、どこか自分を客観的に見ていて、
そんな人間です。

僕は、小学校1年生から2年生にかけての春休みに急性リンパ性白血病になりました。
当時は、不治の病と言われていた時代から、6割近くが助かるという時代でしたが、自分に関しては、それはほぼゼロに近く、釧路という場所では、もちろん最新の医療機器がある訳でもなく、設備も最先端と呼ぶには、程遠いものでした。

「生きる」ということ
今日寝て、朝起きることが普通。
そんなことを考えないで生活している人が大半の世の中で、自分はそうではない。
今でも、夜寝ることが怖い時があります。
もしかしたら、2度と目が覚めないかもしれない。
だけど、朝目が覚めてパッと光を感じた時、そんな当たり前の事に幸せを感じます。

僕がいたのは、ごく普通の総合病院だったので、難病の子も風邪の子も、みんな同じ小児病棟でした。
僕は、非常口の横の個室でしたが、ドアを開ければ廊下の菌が入ってくるような場所でした。
院内学級も通えません。
そんな僕の世界は、建て物と建て物の間の、どうでもいいような場所でした。
ですが、そこに毎年たくさんのたんぽぽが咲き、感動したことを覚えています。

小学校1年生の時は、紅白のリレー選手に選ばれながら、2年生のマラソン大会では、学年で後ろから2番目。
やはり体育ではみんなより遅れ、図工も1日休んでしまうとまったくついていけず、結果登校拒否にもなりました。
地方の病院は、大学病院からの派遣で成り立っているので、次から次へと先生が変わっていきます。
なので、何か聞きたいこと、悩み事があっても、その時には全く知らない人しかおらず、看護婦さんも結婚してやめていき、院内学級にも通っていなかったので、同じような病気の友だちもいませんでした。

差別もたくさんありました。
例えば、腰骨にある注射跡。
手の甲の点滴の跡。
中学、高校になると、なぜお前が小児科にいるんだという大人の眼。
他人というのは無責任で、大人というのは本当に無神経な生き物です。
おそらく子供の頃より、大人になった時の方が、「カベ」が多くあると思います。
自分はことごとくその「カベ」に倒されてきましたけど。
子供は何人欲しい?と聞かれても、考えてないですねーと言うと、お前みたいな奴がいるからと罵倒され、
でも僕の場合は、一生子どもを作れない。
生存率0%と言われ、また不治の病と言われた時代から6割が治る時代になり、その反面強い薬を使い、これからどのような副作用が起こるかもわかりません。
再発の可能性を否定することは出来ないし、違う部分にガンとして出てくるかもしれない、とも言われました。
その時の赤い点滴は、一生心臓に残り、いつ悪さをするのかもわかりません。

僕は、アウトドアガイドを目指していました。
すごく楽しかった。
今でも世界で1番好きな場所は洞爺湖。
ふと考えたときお客様を連れて森の中を案内しているとき、倒れてしまったらどうしよう。
今だと単に考えすぎかもしれませんが、会社にも何よりお客様に迷惑をかけてしまう。
ですが、そこを払拭しきれずにガイドを諦めてしまいました。
その後、小樽に住んで、添乗員をしていて、多分向いていて、すごい楽しかったけど、どんどん体調が悪くなっていきました。

いわゆるふつうの生き方をしたことがなくて、うそばっかりの人生で壁を作って生きてきて。
専門学校の同窓会に行っても、マネジャーや社長になっていて、学生のときは、一緒に会社をやろうと夢を語り合っていたのに全く違う世界に生きていて。
周りと着眼点が違うから、5か2みたいな評価だと思うんですよね。
いつこっちに戻ってくるの?絶対にガイドが1番向いてるよって言ってくれた人がいて、別の仕事してるからさーとヘラヘラして、仲間にも嘘をついて。
支笏湖でカヌーの会社をしている友人がいて、学生の時は仲が良くて、3人で東北に行ったりしてたのに、同窓会でも挨拶くらいで、心の底からおめでとうと言えませんでした。
おととしの秋、東北に行ったもう1人の結婚式があって、その彼も来ていて、久々に話した。アウトドア業界は不安定だし、がんばってほしいなと思えた。
自信がついて変われたんじゃないかと。
ちょうどお酒の勉強を始めた時期でした。

やりたいことと、出来ること。
それは常につきまとうことで、無理が出来ることと、出来ないこと。
一般の方より、死が身近にあって、80まで生きる人生プランの中で明日の行動をしているわけでもなく、40がとても長生きさんに感じてしまう。
言葉がへたくそだから、全文通じてなに言ってんだおまえみたくなっていたらごめんなさい。
わざわざマイナスになることを言う必要はないということを言った方は、アウトドアの専門学校に通っていた時の先生。
先生は全部知っている。
おととし、急性腎不全になってこれはやばいってときも、今に至るまでの過程も。
これを送信ボタン押すことによって、心ない意見とか、リスクを考えて、守ってくれていることもわかっている。
ごめん先生。

あー、しめがわからない(笑)
7才から、20代前半まではこんなんだったよみたいな。
結婚式のはなしは、おととしだけど。
こわいね。
明日から、世界が変わるよね。
だって今まで言ってなかったんだから。
できれば、1人1人に直接言いたかったんだけどね。
怖いから、文章見返さないね。
でも、うちのお客さんの、95%はFacebookを見ていない(笑)
年末か、年明けすぐくらいのときに、今年一年人生をかけた一年にしますと言ったんです。
まずは、第一弾(笑)
100人に嫌われるかもしれないけど、1人に響けばいいな。
うそ。
10人に嫌われて、3人に響くぐらいがいい(笑)
あーこわい。
今まで築き上げてきたものも、根底から否定されちゃうかもなぁ。
優柔不断なO型。
新しい言葉を作ってみる。
難病きき酒師。
難病きき酒師さとる。

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この写真は20さいのとき。
アウトドアの世界。
お母さんがいい顔してるねって言ってくれた。

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