ゴジラの殖え方を考える【勝手に映画感想】
こんばんは、"もっちゃん”です。
先週に引き続き、今週もprime videoで映画を観ました。
子どもたちが味を占めたとでも言うのでしょうか。
【勝手に映画感想】になります。
おやつを食べながら、わりとグダグダしながら映画を観ております。
午前中に全力で野外で遊び尽くし、暑くなってきた午後にはゆったり過ごす流れができつつあります。
部活動指導に熱中している時には考えられないような時間を過ごしていますが、
研究に勤しむ時間の合間に、映画も楽しんでみたいです。
今回も本当は『ゴジラ-1.0』を観ようと思っていたのですが、
今度はメカゴジラのフォルムに敏感に反応した子どもたちにより
みんなで『ゴジラ対メカゴジラ』を観ました。
◯今回観た映画:『ゴジラvsメカゴジラ』1993年 東宝
前回観た『ゴジラ対モスラ』がかなり子どもたちの中でインパクトがあったようで、その近くの作品を選びました。
今となってはもはや可愛らしいフォルムのメカゴジラのビジュアルが非常に映える作品だと思います。放映された当時、子どもながらにメカゴジラのかっこよさに惚れ込んでいた記憶があります。
◯概要
今回の面白いところは、やはり人類の対ゴジラ用最終兵器“メカゴジラ”とゴジラの戦いだと思っています。
ただ、今回はメインは対メカゴジラになるかと思うのですが、その他の要素が結構大きいようにも思います。
まずは上記あらすじにもある“ベビーゴジラ”なるものが出てきます。
あらすじにも載っていませんが、”ラドン”という巨大な翼竜の怪獣も登場し、ストーリーや戦いに大きく寄与してくるのです。
次回作への期待等を煽られつつ、楽しんで観させていただきました。
なお、以下では若干ネタバレも含んでしまうと思いますが、今作を見て考えたことを記述していきたいと思います。
もし、本作を楽しみにしている方は、ぜひ作品を観てから以下の部分は読んでいただければと思います。
◯今回のゴジラは悪なのか
前回『ゴジラ対モスラ』を観た時には、その理不尽に人類社会を侵略してくるゴジラに恐怖と魅力を感じていました。
それこそ人類からしたらゴジラは災害そのものかと思います。
正当性も必然性もなく、理不尽に襲いかかるゴジラだったからこそ、そこに深さと魅力があるように感じます。
ということだったのですが!
今作『ゴジラ対メカゴジラ』では、明確に目的があります。
“ベビーゴジラ”の存在です。
ゴジラはベビーゴジラを目指して日本を侵略し、命をかけてベビーゴジラを奪還し、ベビーゴジラとともに海に帰っていくのです。
どういうことなのか、さっぱりわかりません。
まさかの理不尽なゴジラの侵略に魅力を感じていたところで、それを真っ向から打ち破ってくる製作陣には感服いたします。
この後考えていきますが、おそらく“ベビーゴジラ”はゴジラと同族の仲間なのです。
「仲間を敵から救い出す」
という、あまりにも素敵な大義名分のもと、今回のゴジラは攻めてきます。
人類からすると100%ゴジラは存在悪だと思うのですが、観客にはそうではない、「ゴジラへの共感」を呼ぶような構成が興味深かったです。
なんとなく、作品ごとに"ゴジラの捉え方”が異なりすぎて、逆に興味をそそられてしまっています。
◯ゴジラの交友関係
そもそも、ゴジラとベビーゴジラの関係はどのようなものなのでしょうか。
ゴジラがどのように誕生したのか、説が多すぎてわからないところでもあるのですが、少なくとも太古の怪獣が、長い年月を経て、人類活動の刺激を受けて復活している、というスタンスのものが多いように思います。
そう考えた時に、ゴジラとベビーゴジラの関係というのは見えてこないところではあります。
わかりやすく親子の関係であるのか。
それともただただ同種・同族であるというだけなのか。
実はゴジラよりも親世代の卵が卵で残っていただけなのか。
そこに答えは出せないように思います。
ただ、ゴジラやベビーゴジラとおそらく血縁関係のないであろう"ラドン”との無償の愛とも呼べる仲間意識を見ていると、
ゴジラ界隈のあの巨大生物の中には何かしらの交友関係(?)があると推察されます。
ただ、巨大生物全部が仲が良いわけではない、というのが難しいところ。
ゴジラに対抗する人々は、まずはそこの見極めが大事なのではないでしょうか。
今作のように“囮”として用いるにせよ、ゴジラとの関係性があるとすればそれを利用しない手はないと思います。
なんとなくゴジラの中に人間性を求めていくことが、深いことでもあり、逆に浅はかな感じもしてきて、少し切なくなりました。
◯ゴジラはどう殖えているのか
単純に非常に疑問に思いました。
おそらく今後“ベビーゴジラ”が“ゴジラ的な生物”になっていくことが予想されます。
仮に今後ベビーゴジラがゴジラになるとします。
それは、純粋に成長してゴジラになるのでしょうか。
それとも、他の作品から考えるに、核エネルギーを浴び続ける(被曝する)必要があったりするのでしょうか。
何が言いたいのかというと、
「ゴジラが種として存在するものなのか」
ということです。
日本を襲撃してくるゴジラが“ベビーゴジラ”の種の中から突然変異的に生まれたものであれば、その後ゴジラが殖えることはありません。
ただ、エンディングの雰囲気から察するに、おそらく今後“ベビーゴジラ”が“ゴジラ”になっていくことが予想されます。
そう考えると、ゴジラは種として存在し、何らかの形で殖える、と思われます。
現代において新たに卵が生まれているわけではなさそうなので、卵生ということはわかるものの、その詳しい生態はわかりません。
イメージ的に爬虫類に近い感じもするので、もはや単為生殖とかもあるのかもしれません。
ただ、"ゴジラが殖える可能性がある”ということを残しただけでも、この作品の功績は大きいように思います。
ゴジラが今後永遠に作品化され続けていく可能性を残したわけですので。
また、観客のゴジラ像を誤ってしまった際などは、製作者側が容易にゴジラ像をリセットすることができるわけですから。
面白い設定だな、と思いました。
◯ゴジラ-1.0に向けて
今回も比較的どうでも良いことを作品を見て考えたわけですが、
そもそも、今回も『ゴジラvsメカゴジラ』を観ることになったのはたまたまでした。私が観たいのは、『ゴジラ-1.0』です。(再確認です)
『ゴジラ-1.0』は全くストーリーのイメージがわきません。
『シン・ゴジラ』同様、今作の時代のゴジラとは一線を画していることは予想されますが。。。
楽しみなことこの上ないです。
観た際にはまた感想も書いてみようと思います。
以上です。今回もありがとうございました。
思いっきり駄文で申し訳ありません。
自己紹介はこちらから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?