考えるな。感じろ。
信じることから自由になるためには、実際にそれに触れることです。
信じることの代表は宗教でしょう。
信じるという事を通して、人間は、途方もない力を発揮する事もあります。
それは、信じるという事と、その向きが一致したときに起こります。
それはとても確率が低い事です。
また、信じるという事は妄想を起こさせます。
その妄想によって、人生を棒に振る方も珍しくありません。
様々な発信で、信じることの危うさをお伝えしていますが、人間は、信じる事について、あまりにも無防備です。
見たことも触れた事も無いものを信じることを起点に何かを始めている方は少なくないどころか、多数です。
必然的に、この事に気付いている方は少数です。
神を信じている方は、神を知っているという妄想はしていますが、実際神を知りません。
信者のすべては、この状態です。
信じている状態を信者というからです。
「それって宗教?」と聞く方は信者です。
他に何か信じるものがあるから、他の宗教を否定する言葉を使います。
人間は、だれでも、何かを信じて生きています。
だれひとり、例外はありません。
だからこそ、信じることから自由になることができます。
信じていてもそれから自由であること。
これが最も合理的な所作。
人間は、信じない、疑うという行動をしますが、それは、別のなにかを信じているにすぎません。
だからこそ、自覚を伝えるしかない
人間の行動、所作では、そこから自由になる事ができません。
自覚は宗教でしょうか?
信じるという事から自由になる所作が自覚です。
無意識に考えている、「私」自身を縛る思考から自由になるのが自覚でもあります。
信じている神ではなく、神の本質に自分で触れることができるのが自覚です。
人間の常識から自由になる事で、理を知るのが自覚でもあります。
自覚に触れながらも、この価値、この奥行に気付かなないままでいる方は少なくありません。
わたしは、それを主張して説得する事はありません。
なぜなら、自分でそれを感じられることが、自覚の最初の入り口だからです。
わたしを信じて、わたしの言葉を信じて、自覚を始めたら・・・
どうなるか、ここまで読まれた方はわかりますよね(笑)
だからこそ、信じさせるという事はしませんし、できません。
自覚の奥行を感じながら、動かない方がいるなら、それは自覚を始める時期ではないのかもしれません。
わたしを信じてはいけません。
あなたが触れているそれを信じることなく感じてみてください。
信じている時は感じているのではなく、考えている時です。
ここ重要です!!!!(本当に重要)
これを知るだけでも、この文章を読む価値が有ると言い切れます。
感じてみた時に、動くか動かないか決めてください。
答えはあなたの中にいつもあります。