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この世のお遊戯に違和感がある方々へ

今回の記事は、長くなりますが、じっくり読める時に読んでみてください。
特に後半に向けて、大切な事を書いたつもりです。

幼稚園児は、幼稚園のお遊戯で、楽しく、満足する事ができます。

これって、当たり前の理解ではないでしょうか?

この当たり前の理解から、どのように繋がっていくかという事を書いてきたいと思います。

この地球はまだ、幼稚園です。

多くの園児が、何の疑いもなく、お遊戯を先生の言うなりに楽しんでいます。

そこに、小学生や中学生が、記憶喪失になった状態で入り込みます。

すると、その子たちは、違和感を覚えながら、幼稚園での生活を送ります。

先生に指導されながら、それにならおうと、一生懸命やればやるほど、バカバカしさのような、自分がやるべきことなのか?そういった違和感は膨らんでいきます。

それでも周りと合わせる事で、うまくいく事をし続けるのですが、ストレスは増す一方。

その葛藤が、体調を崩したり、登園拒否を起こしたりすることに繋がっていきます。

この世は、幼稚園児がまだまだ、マジョリティー

小学生や中学生はマイノリティーです。

幼稚園児は、小学校や中学校を知りません。

幼稚園児の観点がそこまで広がる事は、ほぼ不可能です。

この事は、わたしの経験から感じる事です。

幼稚園児に掛け算を教えて、肯定的な結果に繋がったことはありません。

記憶喪失の小学生や中学生にとって、掛け算に触れる事は、失った記憶をよみがえらせるキッカケになります。(掛け算は2小学二年生からという突込みはご容赦を)

そうであっても、小学一年生・二年生であるなら、幼稚園に居続ける事はそれほど苦労しません。

宇宙から見たら、ここまでの社会通念は、幼稚園のレベル。

それに、違和感を持たずに、この世での成功を追いかけられる方々は、どのような意識状態でしょうか。

こういった社会の中で、小学生・中学生・高校生・大学生・大学院生が少数ではありますが、無自覚なまま、います。

ジャンルを問わず、様々な立場でそのような方々はいらっしゃいます。

活躍されている方もいらっしゃいますが、うまく力を発揮できないままでいる方も少なくありません。

活躍されていると書きましたが、その行いに違和感を抱えている方も少なくないようです。

実際に、社会で活躍されている方々も、わたしの元にいらっしゃいますので、詳しくお話を伺う事ができます。

社会で成功できる能力を持ちながらも、違和感に気付ける感性を持った方々です。


この地球は、今、過渡期

だからこそ、そのような方々は、増える傾向にありす。

ここまで書いたように、幼稚園生しかやったことのない方々は、以前の地球に価値をつくってきた方々です。

その方々の役目は終わりに近づいています。

これは、卒業のようなもので、めでたくもあり、喜ばしい事でもあります。

お疲れさまでした。そこで沢山の学びが起こりました。

この過渡期でしか、感じられない価値が有ります。

混沌でしか感じられない、体験できない。

それが今です。

わたしにはそのように見えています。

だからこそ、自覚の奥行を知っていただきたい

小学生以上の意識が知っているからこそ

瞑想や様々な教えを実践します。

幼児は、どう儲けるか、どう成功するか、どう自分の立場を保つか、どう自分のエゴを満たすか・・・etc.に夢中です。

それに辟易としている方々、話を聞いてみてください。

そして、自覚の奥行を感じるのなら、自覚を実践してみてください。

塾に入るにはお金もいただいています。

あなたが考えるお金の価値と、自覚の奥行を比べてみてください。

それが、あなたにとっての今の答えです。

一人ひとりが、内側を向いて自由に表現していく・・・

これこそが、次の地球での学びになっていきます。

その時、お金や知識、ステータスなどのプライオリティーは、相当下がっていますし、実際そのような動きを今、見ることができます。

それについては、別の機会に語るかもしれませんし、語っています。

大切な事は、今、勧誘をしたのではなく、自分自身の内側に答えを見る術をお伝えしたという事です。

答えは、わたしからお渡しするモノではありません。

わたしはいつも、その方の中の答えを一緒に見つけるものです。

そうしているうちに、随分それが上手になったようにも思います。

私を知る

これこそが自覚です。

誰から聞いたのではなく、私の中に答えがあって、自分の中から教えがあふれてくる。

それが、自覚人です。

そこまでご案内しようとすると、一人ひとりの自由が、その必然をつくる事を知ります。

ですから、わたしのエゴで、お伝え出来なくなるのも必然なのです。

自分を降ろすという事は、自分の都合を降ろす事であり、相手を尊重し、敬意をもって接するという事でもります。

すると、今まで見えなかった、「私」自身の内側の広がりと奥行きが見えてくるのです。

瞑想などでも、同じような事が起こります。

そこで「自覚」が起こっているからです。

瞑想や精神的修行で起こる、「自覚」だけを純粋に極める事は、100年の修業を1年に凝縮する事でもあります。

「自覚」を起こすために、瞑想しますか?

瞑想の仕組み、精神的な修行の仕組みを理解したうえで、それを行うのなら、その自由も尊重されます。


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