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すべてをかける事とは
多くの方の悟りに携わってきましたが、一人ひとりのそのたびに産みの苦しみがあります。
これは、今回初めて書くかことのように思います。
産むわけですから、身体が痛む事もあります。
悟りとは何か?
そんなことを通り越して、語りつくすことができないそれを在る様にするという事は、肉体を超えて、思考を超えて、何かが変化するという事でもあります。
断っておきますが、これは、わたし独自の現象ですので、すべての方に共通している事ではありません。
よく、こういった場面で、「私が知っているあの人とは違う」という異論を唱える方がいらっしゃいますが、色々な現象、パターンがあっていいのです。
狭い認識で主張するなら、広がりの可能性を自分から閉じている事になります。
産みの苦しみ
これを説明できるわけもありません。
実際の出産でみても、産まない男がこれを知る由もありませんし、実際に産んだ方でさえ、千差万別の感覚があります。
向き合う事を極める事、向き合う事を極めた先。
それと、否応なく向き合わせられる、出産。
その感覚は似ています。
出産は、すべてがそこに向かいます。
その経験ができる女性は、機会に恵まれているのかもしれません。
実際に、命を危険にさらして行われるそれは、覚悟無き覚悟が働きます。
覚悟無き覚悟
この境地に居続けるなら、奇跡が起こり続けます。
そして、奇跡を起こし続けます。
近年まで、言ってみれば、土に埋められた中で前に進むようなものでした。
多くの者が、進む事をあきらめ、そこに留まり続けることを選択せざるを得ませんでした。
その中で進むという事は、とても困難であり、それをし続けることは、奇跡と言っても良いくらいの事だったように思います。
極限まで向き合って、全身全霊で伝えるもの
多くの方は、わたしがそうしていても気付きません。
気が付くだけの目がまだ開いていないからです。
気が付き、知るのは、大分後になってからですし、ぼやけた自覚をしているなら、一生気付くことはありません。
それに気づき、知り、自分のモノとなった方が、また、伝えることができるように思います。
最も大切な事
自覚を知る、悟りを知る。
これを成したいのなら、すべてをかける必要はあります。
小手先の知識でこれに向かうなら、本質を知る事はできません。
なにかの目的の為に自覚を活用しようとするなら、万分の一も伝わりません。
なぜなら、自覚がすべてを在る様にしていて、すべての中の一部から自覚を知ること自体、無理があります。
自分の知識を抱えたまま、自覚をしても、自覚の本質を見ることができないのです。
自分が大切にしているものを捨てる必要はありませんが、いったん横における事が、決め手になるくらい大切な事でもあります。
これができない方は、自覚の表面に触れることしかできません。
その奥行きを知るには、すべてを横において向き合える・・・
全身全霊で、自分自身に向き合ってみてください
その、全身全霊の精度を高めることがわたしの仕事でもあります。
理屈に走る時、全身全霊からかけ離れたところにいます。
チャンネル登録1000人目指せるようになりました。
視聴し続けている、流し続けていると変化が起こっているというお話も聞きます。魔除け、環境改善、意識改革にどうぞ(笑)