思い通りにならないのは宇宙のデフォルト
この世は思い通りにならない。それが地球であり、地球という地獄・・・
そんな話を聞いたことが在るような気がします。
これはあっていると言ってもいいし、間違えていると言ってもいい。
生きているレイヤーで、その答えは変わります。
人間は思い通りにするための努力を惜しみませんが、それ自体が人間を人間たらしめる行動でもあります。
思い通りになるかならないか?
それは、とてもこじんまりした観点からの発想です。
人間に自由意思などなくすべて決まっている
これも一つの考え方です。
あっていると言ってもいいし、間違っていると言ってもいい・・・
それを議論したければすればいいし、したくなければしなくていい・・・
信じたければ信じればいいし、信じたくなければ信じなくていい・・・
そのくらいの事です。
思い通りとは何なのか?それを規定するから議論が生まれる
思い通りになるかならないか?という話をする前に、思い通りをどう規定しているか知ろうとする方はあまりいません。
それなしに考え始める事は、これを読んでいるあなたは、どうみますか?
思い通りの話を書こうと進めていますが、すべてにおいて、これが当てはまります。
この事を知らないまま、考え、議論し、批難している人間が、この世の中に肯定的変化を起こせると思いますか?
だからこそ、自覚をする必要があるのです。
一人ひとりの規定が、自由に行われるから、他者と違う規定をすることができます。
その既定は、正しいという幻想とセットで行われます。
だからこそ、違ったときに、様々な衝動を起こすようになります。
在り方が、すべてを在るようにしている
思い通りにならないのは、在り方を無視しているからです。
在り方を蔑ろにして思い通りにしようとする事は、小学生が、競馬場で馬券を買うようなものでもあります。
大人なら、何の障害もなくできることをいざ子供がやろうとすると障害が沢山あるのは、誰でも経験で理解できる事ではないでしょうか。
宇宙のデフォルトと書きましたが、そんなたいしたものでもないのです。
では、なぜ、思い通りになる事があるのか?
そんな風に考える方もいるかもしれません。
それについては、さきほどの「思い通りになるという規定」から話さなければなりません。
それなしに、本質に近づく話はできないのです。
これを知らないまま、途中から議論する方が、この世のほとんどでもあります。
そこから抜けた在り方になるなら、自覚しかないのです。
子供が、「大人ってこういうものだ」と考える。そして、それについて子供同士で議論する・・・
どうでしょう。良い答えが出そうですか?
誰でもわかる当たり前のことを人間は、無自覚にやり続けます。
大切な事は、知り得ない宇宙の話を信じるとか信じないとかで行動を決めるのではなく、今知っている、触れている事から、答えを見つけることができるという事を知る事です。
それが、自覚をするという事でもあります。
在り方が整い、意識が成熟し大人になった時、知るべきことを知っています。
そして、得るべきものを得ているのです。