鉄棒を削る
こんばんは。satoriです。
大きな夢を抱き中学校の先生になるも、2年で精神を病み、退職しました
これは私が人生を費やした失敗の話です。
中学生のとき、バレーボール部に所属していました。セッターでした。
トイストーリーのウッディみたいな顔をした顧問の先生が毎日『一緒に走るぞ』と言って腕を組んで待っていてくれたことに感動し、教師を目指すことになります。生徒と一緒に走る先生になろう。
高校生になり、またバレーボール部に入りました。
当時の顧問がとても嫌いでした。
試合に負けると『この試合で持ち帰れるモノはなんだ?』
と哲学的質問を投げかけ、答えが出るまで何時間もお説教。
『ボール』って答えて火に油を注いだあいつ、元気にしてるかな。
私は君の回答好きだよ。
ちなみに答えは『悔しさ』だそうです。
『一人で練習しろ』と体育館の鍵を投げつけられたこともあります。
暴言もひどく、私の精神が歪んだ要因のひとつに間違いなく彼がいます。
そんな善と悪を目の当たりにして、私が先生にならなきゃダメだ。
心ない人間が先生になる席をひとつ埋めてやろう。という気持ちは強くなります。
本気とはすごいもので、高校時代下から2番の成績だった私は大学生になり、学部で主席をとりました。
箔をつけてやろうと、宮本武蔵よろしく国語と英語の免許二刀流。
小学校の免許も取得し、教育界のロロノア・ゾロを名乗ろうと思いましたが物理的に不可能でした。
『向き不向きよりも前向きの精神で頑張ってください。』という校長先生の言葉で、教師生活が始まりました。
前を向いた先は月200時間の残業。
過労死ラインは80時間、2回半逝ける計算です。
朝5時に起床、部活の朝練に参加、部活を終え生徒を全員見送ると18時。
そこから採点、授業、行事の準備、校務分掌、親からの相談電話。
日付が変わる前に帰宅したことはありませんでした。
土日も丸々部活動。
決してブラックだという話ではなく、本気で生徒のために行動するとそれぐらいかかるということです。1クラス35人、4クラス受け持ったら140人、1人1分で採点しても140分かかるんです。授業も準備すればするほど生徒の反応が良い。そんな私も帰宅する際はいつも『お先に失礼します』と言っていました。生徒を第一に考える、本当に良い学校だったと思います。
修了式を迎え、体がおかしくなってきました。
学校に行こうとすると起こる吐き気、運転中の異常な眠気、本当に些細なことにでも怒りを感じるようになりました。今となっては笑い話ですが、箸が転がっても怒っていました。起こること全てが睡眠時間を減らすものに思え、寝る事しか考えられなくなっていました。
それでも、修了式は感動的なものになりました。
不登校だった生徒が出席したんです。
毎日その生徒コンタクトをとり、その生徒がおすすめしてきたアニメ、小説、映画、全部観て、たくさん話をして、学校に来れるようになりました。
学校に来ることが絶対的に良いとは思いませんが、彼にとって良い変化だったと信じたいです。
様々な先生から、『あの子が学校に来れるようになったのは君のおかげだ。』と言われ、全てが吹き飛ぶような充実感がありました。
不登校の生徒を一人登校できるようにした、と図に乗っていたことが伝わったんでしょう。指導教諭が私に言いました。
『教育とは、暗闇の中鉄棒をやすりで削るようなものだ。』
最初は全く理解できませんでしたが、しばらくして意味がわかるようになりました。人生が良い方向に変わる出来事を鉄棒が切れる瞬間に例えているんですね。鉄棒なのは途方もなさを表しているのでしょう。不登校の生徒が学校に来れるようになったのは、鉄棒が切れた瞬間のこと。親、友達、先生、地域の人、様々な人の声掛け、彼の見てきたもの経験したことの全部が、彼の中の鉄棒を少しづつ削っていって、切れる寸前のところに私が現れただけのこと。暗闇の中というのがまた言い得て妙で、削っている側も削られている側もどこが削られているかわからないんですね。
『不登校の生徒は確かに学校に来たけど、お前のおかげじゃない。調子に乗るな。』そんな厳しくも優しい副音声が脳内に響いていました。
2年目に入り、いよいよ精神に異常をきたします。
物理的に視野が狭まったり、急に耳が聴こえなくなったり、部活中に失神したり、それはそれは色んな症状が出ました。
基本的に明るい性格だとは思うのですが、そのときは『死ぬ』という選択肢以外グレーアウトしている状態でした。そんなの仕事辞めたらいいじゃん。と思うの、当然だと思います。限界まで追いつめられると、差し伸べられている手が本当に見えなくなってしまうんです。
死んだ魚の目をしていたんでしょう。
指導教諭が私にお話しをしてくれました。
不登校の生徒の家に364日通い、どうしても家庭の事情で行けなかった1日に対して、生徒が『あの日先生は私のことを裏切った。』と言ったという話です。
指導教諭、優しいですよね。
私が限界だとわかって、この話を切り出したんでしょう。
『あなたにその覚悟がありますか?』そう聞こえました。
ここまでできない。そう思い、卒業生を見送って退職しました。
私の失敗は一人の力で誰かを変えようと思ったことです。
私と関わった人をどうにか良い方向に導きたくて、勝手に背負いこんで、勝手に責任感に潰されたわけです。
『教育とは、暗闇の中鉄棒をやすりで削るようなものだ。』
私がしていることは直接結果に繋がらないかもしれないけれど、確実に鉄棒を削っている。
そう思えたら私の教師生活も少しは変わったのかもしれません。
親、友達、恋人、先生、出会った人、見てきたもの、経験したことの全部が、あなたの中の鉄棒を少しづつ削っています。
変われない自分に嘆くのも、変わらない友人、恋人、子どもにもどかしさを感じるのも、鉄棒を1人で切ってやろうと思っているんじゃないでしょうか。目隠ししてヤスリで鉄の棒削ってるんです。そんな簡単には切れません。気長にいきましょう。
私はそう考えるようになって、バッっと視野が広がりました。
世界に色が付きました。
色んな人と話して、良い景色、作品を観て、聴いて、たくさん感動しようと思いました。とっておきのライフハックです。
この文章があなたの鉄棒を少しでも削れたら、何より嬉しいです。
ジョリジョリ
#あの失敗があったから
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