想像力が人を守る
※この記事には「性的描写」についてのお話が登場します。
苦手な方は回れ右でお願いします。
またまた大好きなコンテンツ『最強の時間割』のお話です。
今回のゲストはインティマシー・コーディネーターの浅田智穂さんでした。
インティマシーシーコーディネーター……
みなさんご存知ですか?
恥ずかしながら、私は知りませんでした。
気になる人は、ぜひ本編を見てください。
めっちゃおもろいです。
今回は私がとくに印象的だった内容を書き記します。
浅田さんのお仕事はまず、台本から性的シーンを抜き出すところから始まります。そしてそのシーンが、具体的にどのような場所で、体位で、服装で、どんな動作をするのか。ひとつひとつ監督に確認するのだそうです。
さらに、そのシーンについて俳優に説明・同意を得ます。同意がないものは絶対にさせないというのが、インティマシー・コーディネーターにとって最も重要なことなんだそうです。
たとえば、
この2つの文章。どんなシーンを想像しますか?
「露わ」という言葉を聞いて、裸を想像する人もいれば、服がはだける状態を想像する人もいるでしょう。「激しく抱き合う」も、人によって解釈が分かれそうです。
でも、この文章を読んで、どれほどの人が場所・体位・服装・動作を具体的に想像できるでしょうか。
少なくとも(現段階の)私は、「なんとなく分かる」で、素通りしてしまいそうです。
でも、この「なんとなく」という曖昧さが実はとても危険。
この曖昧さは、俳優が
「そんなシーンだと思っていなかったのに」
「知っていたら出演自体を断った」と感じる要因になりかねません。
「こうかもしれない」「ああかもしれない」といろんな想像し、逐一確認をする。浅田さんの想像力と丁寧な仕事ぶりが俳優を守っているのです。
さて、ここからが本題。
私はこの記事で一体何を伝えたいのか。
それは、
「書く」とは危険な行為である
ということです。
私たち書き手は、常に言葉や文章と向き合っています。もちろん、「誰かを傷つけよう」と思って書いている人は少ないはずです(そう思いたい)。
でも、言葉や文章は曖昧になりがちなものです。曖昧であるからこそ、意図せず読み手を傷つけてしまう可能性がある。
残念ながら、書き手の認識と読み手の認識がぴったり合うことは、ほとんどありません。しかも、浅田さんのように橋渡ししてくれる人もいないのです。
だからこそ、常に読み手を想像しなければいけない。傷つける言葉を使っていないか、配慮に欠けた文章を書いていないか。あらゆる可能性を想像することが、読み手と書き手自身を守るのではないかと感じました。
あ~、思った以上に長くなっちゃった。
コンテンツの感想書くのって難しいですね。