手紙のかたち。

拝啓 

ちよさまお元気でしょうか。
私、貴女のスケジュール帳だったものです。

突然のお手紙をごめんなさい。
そして、今までご連絡できなかったこと、ごめんなさい。

突然に貴女のもとを飛び出してしまいました。
貴女が何かをしたとか、不平や不満があったわけではないのです。
ただ、ふとした瞬間に、なにか貴女の持つ無垢な優しさや笑顔がひどくおそろしいものに感じられた時があり、それに私が耐えられなかった。
それだけなのです。

私は今、マレーシアはクアラルンプールで喫茶店の伝言板として働いています。

こちらは日々暑いです。日本では熱帯雨林気候とこちらのことを呼ぶらしいです。いつか日本人の観光客の方が私に書き込んでいらっしゃいました。

あとはこの時期、モンスーンの影響で雨が多いです。紙の私には少々辛い時期ではありますが、店長さんがたまに私を扇風機にあてて乾かしてくれるので幸いカビなどはついておりません。
少しシワシワになって、まるでおばあちゃまのようになってしまいましたが、それも私に刻まれた新しい時間です。

先日、私たちのお店に一人のお客様がいらっしゃいました。
日本人の方です。
彼女は16時ころにふらりとやってきて、店の片隅で誰と喋るでもなく、テタレを飲んでいらっしゃいました。
そして、お店の外、行き交う人並みを眺めたり、わたしをはらはらとめくったりして時を過ごしておりました。

私はその方をとても不思議な魅力のある方だと思いました。
旅行でいらっしゃる方のほとんどはご友人同士だったり、恋仲であったり、ご家族であったり、楽しくて陽気な雰囲気の方が多くいらっしゃいます。
でも、あの方の背中にはどこか寂しさが香るというか、何か私に似ているような感じがあったものですから、とても惹きつけられたのを覚えています。

私は言葉を発することができません。ですから、彼女が私をただはらりはらりとめくっていくお顔を、同じようにただ眺めておりました。

空が薄紫に染まって、夜店がにぎわいだした頃、私の49ページ目にパタパタと水が落ちる感覚がありました。

空を見上げても雲はありません。
そのお客様が泣いているのでした。お顔はそのままに、目からただ大粒の涙をぽとりぽとりと落としていらっしゃるのです。

私はひどく不安になって、おろおろしました。
彼女がなぜ泣いているのか、その理由がまったくわからなかったのです。ただ、その涙をしっかと受け止めることが今の私の使命に思われて、ただ48ページと49ページでもって、ずっとその何かも知れぬ悲しみを受け止めておりました。

どれくらい時がたった頃でしょう。私のとなりにゴトリとぶっきらぼうに何かが置かれる気配がありました。
見ると、このお店の看板メニューのナシゴレンがたっぷりと盛られた美味しそうなワンプレートが置かれています。
でも、新しくお客様が来られたわけではありません。私も彼女もクエスチョン・マークを浮かべながら、置いていった店長を眺めます。

店長は、お皿を拭きながらぶっきらぼうに頷きました。そして、それっきりお店の奥に引っ込んでしまいました。

彼女はしばしナシゴレンとにらめっこをしたあと、おそるおそるスプーンを取り、オイスターソースとチリでしっかりと炒めつけられたご飯をひとすくいして頬張りました。

それからの彼女は、まるで子どもの様でした。
ただひたすらにナシゴレンを口いっぱいに頬張って、たまに喉が詰まってお水を飲み、また頬張る。お店には、陶器のお皿と金属スプーンの当たる音が心地よく響いていました。

ただ、彼女はまた泣いておりました。相変わらず私の48ページと49ページに涙は降り注いだのだけれど、それはなんだかあったかくて、くすぐったくて、もっと浴びていたい気持ちになったことを今でも覚えております。

しばらくして、彼女はナシゴレンを食べ終えました。
その頃には、彼女はもう泣き止んで、まるで嵐の後の朝焼けみたいなお顔になっておりました。
そして私にそっと一言書き記すと、お金を挟んで、夜店の光の中に溶けて行ってしまいました。

”ごちそうさまでした。いつか、また来てもいいでしょうか”

店長が奥からやってきてお皿を片付けて、テーブルを軽くふき、そこにさらりと一言書き添えました。

”今度は笑っていらっしゃい。
お金はその時まで、お預かりしていますから”

言葉は違うけれど、お互いの私に置いていった気持ちはなんだかすでに届いているのではないかな。そんな風に思います。

これは私がこちらに来てからの、言葉の宝物になりました。

ちよさん、貴女のもとを離れなければ、きっと私は湿気に悩まされることはなかったし、時々飲み物や食べ物をこぼされるようなことはなかったと思います。

でも、こんなに胸がきゅうとなるような言葉たちが私に書き付けられることもなかったのかもしれません。

それと同時に今ならわかります。
あの時、まだあなたの所有物だった頃にこんな心の余裕があったのなら、貴女の笑顔や優しさの向こうにあった気持ちに気付いて寄り添ってあげることができたのではないかって。

こんな場所で、こんなしわしわになるまで。
気付けなくて、ごめんなさい。

でも、この世には起こったことしか起きないし、「こうであれば」は起きない定めです。

私はこのクアラルンプールの空の下で、とあるお店の伝言板を続けようと思います。
色んな人の、色んな言葉を、ここで受け止め続けようと思います。

「だから」なんていうのはおこがましいかもしれません。

でも、「だから」こそ。
ちよさん。素晴らしい人生をお送りになってください。私なんかよりずっと素敵なパートナーをお見つけになって、私といたころよりもずっと幸せにならしゃってください。

やっと、言うことができました。

そしていつか、もし貴女が身勝手な私を許してくれるなら。
私たちのお店にいらっしゃってください。
店長が腕によりをかけたナシゴレンをごちそうします。

そしてもし、届けたい届かない気持ちがあったなら、わたしに置いて行ってください。
こんどはきっと、受け止めますから。いつか届けるために。

敬具

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