賀状にまつわる煩悩
年末にやるべきこと
このタイミング、
ちゃんとした人はもう今年やるべきことは
ちゃんと終わらせてる。
ちゃんとしてない人は
・・年賀状を必死に書いている。
なんて言ってたのも昔の話で、
今、年賀状出してる人ってたぶん
ちゃんとした人だけなんじゃないだろうか。
そう言ってる自分は、
例年なら焦って書いてるところだが、
喪中なので焦ってる人を想像して
ちょっと余裕をかましている。
これを機に賀状仕舞いするか。
・・迷うとこだ。
無くすのも何だかな
年賀状はめんどくさい。
だけどやっぱりいいとこもあって、
特に僕らみたいな広告屋は
人に何か伝えてなんぼの人生なので、
いざ止めるとなると抵抗もある。
カンタンにやる方法もある。
ありモノのデザインで印刷も頼んで、
宛名だってデータ渡せば入れてくれる。
だけど何か心がこもってない感じがして
せめて一言だけでも添えようとする。
これがまた、いざやり出すとかなり大変。
一言書くと、ついでに自分の顔なんか、
つい描いてしまったりして
結局果てしない作業になってしまう。
相手によっては、
その「ひとこと」がなかなか出てこない。
考えに考えたあげく
「ことしもよろしく」・・なんて書いてしまう。
なんか自分に負けた感じで、すごく悔しい。
ボクは”ことしもよろしく”だけは禁止にしてます。
という強者もいるが、なかなかそれも大変だ。
ある男は、2年続けて、
同じヒトに同じコメントを書いてしまい、
本人に指摘されちゃった。という話をしていた。
そういうことも起こりうる。
いちいち誰に何を書いたか、なんて覚えてない。
何枚も何枚も書いていると、
そのうち感覚も「麻痺」してきて、
もういいや、なんでも、なんて気になってくる。
そういうときが実はヤバくって、
書いてはいけないことを書いてしまったりする。
「今年は麻雀であんまり負けないようにね」
正月から他人の家庭に波風を立てることになる。
それは毎年繰り返す
考えることは他にもある。
まず宛名を書き出すとき
「この人に出していいものか」を毎年迷う。
一昨年出したのに返事が来なかった。
んで去年は出さなかったら向こうから来て
さて今年はどうしたものか・・
考えてるといつのまにか寝っ転がっている。
いつの間にか天井を見つめている自分に
気づいたりして・・3枚書いたら休んでいる。
「学生時代も、宿題とか一問やるたびに、
こうやって休んでたなあ」・・
人間というヤツは、
根本的には一生変わらないモノだ。
何でオレはいま人生について考えてるんだ。と
思考はどんどん深いところへ堕ちていく。
これじゃあ年末どころか一生終わらない。と
自分に言い聞かせ、意を決してまた書き出す。
賀状書きは年に一度だが同じ煩悩は毎年訪れる。
除夜の鐘はなかなか払ってくれない。