言葉のことばかり【顔】
人の顔っぽい顔の犬
道を歩いていたら、
すごく「人の顔」っぽい「顔の犬」がいた。
この犬の顔が「人の顔」っぽいということは、
この犬の顔…のような顔をした人がいる
可能性が高い、ということだ。
この犬の顔…のような顔をした人は、
つまり犬っぽい顔をした人なのだろうか。
しかし「犬っぽい顔」をした人は、
顔が「概念としての犬」に似ているわけで、
この犬が表現(?)している
「人の顔」に似ているわけではない。
つまりその人は
「犬の顔」に似ているわけではなく、
犬の中に現れた「人」に似ているわけで、
そういう意味では人が人に似ているという、
なんでもないことになるわけだ。
問題は、その犬が似ているのが、
ある特定の「人の顔」なのかということだ。
それはひょっとすると
「概念としての人の顔」なのかもしれない。
しかし「概念としての犬の顔」と比べて
「概念としての人の顔」は想像しづらい。
それは人が人の顔を見分ける能力と、
犬の顔を見分ける能力とが
同じとは言えないからである。
往々にして人は人の顔は細かく識別するが、
犬の顔をそこまで真剣に見分けたりはしない。
(する必要がない)
つまり人の顔の中に
特定の犬の顔を見つけることができる人とは、
かなり犬の顔というものに対して
思い入れの深い人であり、
たぶんその人生の中で犬とのつきあい方が、
一般の人よりは強かったはずである。
犬を飼っていたことがあるかどうか、にも
大きく左右されることだと感ずる。
しかし一番の問題は、
私が実際にこの犬の顔に似た顔を持つ人を
街で見かけたとき、
かなり気持ち悪いんではないか、
ということである。
顔は頭じゃない。
人間の部位をパーツに分けたとき、
顔という部位はない。
顔は頭という部位の中の一部だ。
顔は頭の一部なのだが、顔は頭ではない。
指は手の一部だが、しっかり手である。
この辺はかなりややこしい。
耳は頭ではない。じゃあ顔か。
顔のパーツを挙げろと言われたら、
目、鼻、口、眉毛、耳、ときっと言う。
だけど耳が顔か、と言われると
いや、耳は耳だしな、と思ったりする。
どうも「顔」だけは別の切り口で
認識されているみたいだ。
なるほど。頭部の前面か。
そうなるとやはり耳は顔じゃないんだな。
どうもこの前面ってのがポイントっぽい。
だから表情って言うのか。
表にあるからいろんな例えに使われる。
いろいろ代表したり表したりする。
表すってそもそも表だもんな。
さて、そうなると犬の顔だ。
あれは頭部の前面じゃないぞ。
いや、前面なのか。突起してるだけか。
となると「犬っぽい顔の人」の顔は
前面が突起してるってことだろうか。
こんなめんどくさい文章、
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。