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景色をボーっと見てても飽きなくなってきた

たとえば何で花見というものがあるのか。

確かに桜は綺麗だが、酒飲んでるだけで
誰ひとり花なんか見てないじゃないか
・・なんて思ったりする。

ほら、アレって昔のものじゃないですか。
ナーンにも娯楽がなかった時代だから、
花眺めるくらいしか楽しみがなかった、
そのイベントのタイトルだけが残ってる、
そういうことでしょ。

まあそうかもしれない。
そうかもしれないんだが最近、
ちょっと違うかもしれないと思いだした。

気がつくとボーっと見ている

確かに平安時代だったら、
スマホもなけりゃテレビもなけりゃ
eスポーツもなけりゃブレイキンもなかったから
ボーっと花見てるくらいしか
楽しみなんてなかったのかもしれない。
だけど今は世の中コンテンツだらけで
じっと座って花愛でるなんて間が持たない。

ところが最近、
気がつくと路端の花をただじっと見ている
そんな自分に気づいてしまった。
あれ、何やってんだオレ・・って
こんな何の変化もない風景をただ見てるなんて
しかもその間、特に何も考えてなかった。

・・歳を取ってしまったってことなのか。
そう言えばよく路地で、何するでもなく
表情を変えることもなく、
一点を見て止まっている爺さんがいる。
ついにアレになってしまったのか。

動かないもののよさ

確かに電車に乗ってるときも、
普通ならやることないからスマホ見たり、
トレインチャンネルと中吊り広告を
順ぐりに見たりしてるところなのに、
ただただ流れる景色を見ている方が
楽しいと思ってしまう自分もいる。

これまで
年寄りは変化についていけないから
それに合わせることを放棄して
アタマの回線を切ってしまうと思ってた。

だけどそれってちょっと違うかもしれない。

動かないものの魅力を思いだした・・
そんな気がした。

(最近の朝6時)

そう考えると花見って、
当たり前だけど花を見ていたのか。
ただ花を見ていることが楽しかったんだと
改めて思った。

ただ見るということ

美術展が好きでよく行くが、
だいたいは展覧会の目玉みたいなものに
長い行列ができる。
並んでる間、遠くから小さく見ていて、
いざ目の前に来るとすでに
興味は隣の絵に移っていたりする。

それよりは
人気がなくても気に入った絵の前で
しばらくボーっと見ていた方が
よっぽど楽しいんではないかと思う。

次から次にインプットしていくのは
効率がいいのかもしれないが、
実は貧しいんではないか、なんて思うのは
やっぱり歳を取ったからかもしれない。

次回は「穴が空く」です。

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