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目をつぶるとまぶたの裏が見えている

その昔、谷村新司という人が昴という歌で
「🎵目を閉じて何も見えず〜」
と歌っていた。

日本中の人が「当たり前だろっ」
と突っ込んだものだ。

しかしそれは本当だろうか。
確かに周りの風景は見えていないが、
目の機能が失われるわけではない。
実はまぶたの裏側を見ているのではないか。

それは屁理屈だ。
実際何も見えていないじゃないか、と
これまた突っ込まれるところではある。

夜、さあこれから寝ようと思って、
布団に入り、部屋の電気を消す。
目を瞑っているとまぶたを通して
微かな光は感じ取ることはできる。

何か映像のようなものは「見える」気がする。
像を結んでいるわけではない。
実際はまぶたというシャッターが
閉じているのだから、見えてるとしても
まぶたの裏側でしかない。

そうなのだ。まぶたの裏側を見てるのだ。
ただ近すぎてピントが合ってないだけだ。

そうこうしているうちに半分眠った状態で
何かが頭に浮かんだりする。

浮かぶのは映像である。
確かに見えている感覚はある。

じゃあこの絵はどこに浮かんでいるのか。

心に浮かぶって言うが、心ってどこだ。
頭の中か。
人間に頭の中を見ることができるのか。

その昔、レミオロメンという人たちが
3月9日という歌で
「瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることで
 どれほど強くなれたでしょう〜🎵」
と歌っていた。

あなたは「まぶたの裏」にいたのである。

ということは心に浮かぶ風景は
まぶたの裏に映っていることになる。
まぶたの裏はスクリーンだったのだ。

その場合、目は機能しているのかいないのか。

映像記憶というものができる人もいる。
試験のときに頭の中で教科書をめくるらしい。
優れた棋士は頭の中に盤面があると聞く。
なんとも羨ましい。

しかしそうなると目を開けている状態でも
映像が見えている可能性も高い。
その場合のスクリーンはまぶたの裏ではなく
空中にあるということだろうか。

だとすると部屋は暗い方がいいのではないか。
いや別に光源があって照らすわけじゃないな。
今やってみたが、別に目を開けていても
映像は思い浮かぶな。不思議なものだ。

しかし集中力はいるような気がする。
手っ取り早い方法としてはやはり
目をつぶることではないかと思う。

昔、湘南乃風という人たちが純恋歌という歌で
「目を閉じれば 億千の星一番光るお前がいる」
と歌っていた。

目を瞑った先に星空が見えていると思われるが
その中で一番光っているのはお前らしい。
その場合、お前は人なのに星ということになる。
すでに映像化は不可能な領域である。

次回は「チームワークって」です。

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