「いなびかり 北よりすれば 北を見る」
明日の言葉(その17)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
戦後、俳壇で活躍した橋本多佳子の有名な句である。
この句に出会ったころは、なんかキリリとして格好いい句だけど、特別に何かを感じるということはなかった。
でも、なんとなく気になる句ではあった。
北。
南でも東でも西でもなく、北。
冷たく厳しく、つらいイメージをもつ言葉、北。
そして、北からの雷。
北で冷たく光る稲妻。
・・・なんだろう。
なんか気になる。
いつしか、折に触れ思い出す句になっていた。
普通、稲妻が光ったら、少し遅れてやってくる轟音を人は怖れる。
冷徹な光も恐ろしい。
不吉な轟音も恐ろしい。
でも、光と轟音を怖れて目を閉じ耳を塞ぐのではなく。
恐ろしい音が鳴り響くのを身を固くして待つのでもなく。
しっかりと稲妻が光った方を見る。
姿勢よく、すっと首を回して北を見て、正面から音を待つ。
去年、つらいことがあったころ、道を歩いていて、ふと、この句の意味するところがわかった気がした。
北からの厳しく冷たい何か。
北からのつらく激しい何か。
目をそらさない。
逃げない。
怖がらない。
向き合う。
静かに向き合う。
なんでもないことのように、平静に向き合う。
やがて遠くから轟音がやってくる。
なにも怖れず、それを待つ。
いなびかり 北よりすれば 北を見る
なんだろう。
何かを励ましてくれるわけでもない。
でも、この句のありようが好きだ。
ちゃんと北を見なければ、と思う。
橋本多佳子の句では、この句も心に残っている。
いなづまの 野より帰りし 猫を抱く
冷徹に光る北の野を平然と歩く猫でありたい、とも思う。
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