キミは知っているだろうか。 ボクが生まれるたった15年前まで、女性は投票できなかったということを
つい最近なんだ。
遠い昔にあったこと、ではなくて、ついこないだのことなんだ。
ボクが生まれるたった15年前の1946年4月10日に、初めて女性が投票できる総選挙が実施された。
だから、キミのおばあちゃんは、女性に選挙権がない時代を知っている。
どっか遠い国のお話ではない。
この日本でのお話だ。
日本だけすごく遅れていたわけではない。
日本の後に女性参政権(当時は婦人参政権と呼んだ)が認められた国もたくさんたくさんある。
なんならスイスは1991年に認められた。
あのスイスで、女性は1991年まで選挙に参加できなかったんだよ。信じられる?
だから有り難く思ってちゃんと投票行けよ、って言いたいわけではない。
ただ、「選挙権って、それを得るために多くの人が闘い、多くの血が流された『普通ではない権利』だ」ということは、わかってほしい。
そして具体的に想像してほしい。
こんな世の中おかしい、理不尽だ、私たちにも政治を変える一票を投じさせてほしい、と、涙を流し、時には血を流し、闘った人たちのことを。
そういう人たちが世界の各所にいたからこそ、キミは今日、堂々と投票所に行けるということを。
(「参政権を獲得し投票する女性たち@東京・葛飾」毎日新聞1946.4.10)
ん?
男だけズルイよね、って?
申し訳ない。
女性に比べると大きく優遇されていた。
でも、男性のほとんども投票できなかったんだよ。
普通選挙が(長い闘いの結果)ようやく日本で実現したのは1925年。
それまでは、男性のみ、しかも高額な納税額を納めている一部の金持ちだけが有権者だった。
つまり「国民全体のほんの数%しか有権者がいなかった」わけ。
ボクがあのころ生きていたとしても、選挙権なんかなかったんじゃないかな。
いまでは普通すぎる権利だ。
普通すぎて軽んじられてすらいる権利。
その超普通な「選挙に参加し、投票する権利」を得るために、世界で、日本で、たくさんの長い長い闘いが行われ、弾圧され、鎮圧された。
多くの男女が、ただ「普通に投票したい!」ということのために、たった一度の人生を賭けて、闘った。
いまなら当然と思えるようなこの「一票の権利」を得ることを、どれだけたくさんの人が身をよじるようにして望んだか。それを得るためにどれだけたくさんの人が苦しんだか。亡くなったか。
キレイゴトのように聞こえるかもしれないけど、投票するとき、いつもボクはこう思う。
「一票、普通に投じさせてくれて、本当にありがとうございます」って。
国に、じゃないよ?
ご先祖たちにだ。
選挙権って「行使しないと苦労したご先祖たちに申し訳が立たない権利」だと、ボクはいつも思ってる。
たった一票では何も変わらない、とキミは言うかもしれない。
でも、キミの一票は、決して単なる「たった一票」じゃない。
その手に渡された投票用紙は、おじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんたちも含めて、普通に投票できなかった人たちの切実な想いがすべて乗った「重い一票」なんだ。
顔を具体的に思い浮かべながら、想像してほしい。
そういう人たちの想いを。哀しみを。
数年のうち数分だけでいいから、投票所で投票用紙を持ちながら、想像してほしい。
きっと、その人たちから繋がっている自分の人生を、もっと愛せるようになると思うし、もっと大事にしようと思うと思うよ。