聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇1) 〜そもそも新約聖書って?
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。
いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。
さて、旧約聖書は約4ヶ月、全65回の連載で終えた。
いよいよ新約聖書に入っていこうと思う。
もともとなんでこんな手のかかるシリーズを始めたのかは、旧約聖書篇第一回「そもそも旧約聖書って?」で書いた。
簡単に言うと、元ネタがわからないと、絵画も彫刻も(そして小説や映画も)いまいち面白くないからだ。
だから、アートを楽しむためにも元ネタを知っていこう、というのがこの連載。「聖書をよく知ろう」という連載ではなく、「絵画などの有名トピックをいろんな絵画と共に知っていこう」という連載。
新約聖書、となるとちょっと肩に力が入りそうだけど、なるべく気楽に進めていこうと思う。
さて今回は、新約聖書の「基本中の基本」をとりあえず頭に入れて行く回だ。
ここから数十回に渡って続けていく新約聖書の根本的なことを知らないと、いろいろ混乱するから、項目別にまとめて自分の頭にぶち込みたいと思う。
●新約聖書は、実質たった3年の物語!
天地創造から数千年の壮大な物語である旧約聖書に対して、新約聖書は「イエスの生涯+初期の弟子たちの活動」でほぼすべてであり、取り上げる期間としては超短い。
実質的に言うと、イエスは30数歳で亡くなったので、生涯と言ってもたった30年くらいの物語だ。いや、もっと言うと、洗礼から受難まで、イエスの実質的な宗教活動はたった3年だ。
つまり、極端に言ったら、その3年間にあった出来事とその伝聞が聖書の本質であり、その他はプロローグとエピローグ、という感じかと思う。
ちなみに、ページ数で言うと、日本聖書協会発行「聖書 新共同訳」で、旧約が1502ページ、新約が480ページである(共に上下段)。
たった3年なのに数千年の出来事を書いた旧約の1/3もの量がある。そして絵も各エピソードで膨大にある。
●新約聖書とは、「新しい契約」のこと!
まぁもう言わなくていいと思うけど、新しい翻訳の意味での「新訳」ではないよ。「新約」だ。
旧約聖書に書かれていた「神との契約」を新たに更新したものが「新約」になる。「新しい契約」に更新されたことで、いままでの聖書は「旧(ふる)い契約」になったんだな。
ただ、ユダヤ教とかは「新約」に更新していないので、旧約聖書=聖書。旧い契約になってもいない。
そう、あくまでも「新約」はキリスト教の話、なのである。
ちなみに、旧約聖書からどう分かれたか、は、旧約聖書篇第一回目で作ったこの図をどうぞ。
でね。
全65回かけて旧約聖書を追ってきたボクには大事なことなのだけど、旧約聖書とはイスラエル民族の歴史書であり、別に「契約」にフォーカスしたものではなかった。
つまり、イエスが出てきて、それが後にキリスト教になった時点で、「あれって以前の旧い契約の話やで」ってすり替えたんだな、と思う。
で、旧約聖書という歴史書を「契約」という視点から見直すなら、本当は、モーセの十戒に見られるような、「イスラエル民族がちゃんと戒律を守り神を敬うなら、神は祝福と恩恵を与え、救いと繁栄を約束するよ」というもののはずだ。
でも、「新しい契約」を信じるキリスト教においては、そういう解釈は邪魔だ。「神はイスラエル民族だけ救う」とか、そんな契約じゃいろいろ困ることになる。
だから、「旧い契約」の解釈を変える。
なんと、「苦難の歴史の末に、ダビデの家系から人類の救世主(メシア)が誕生してくるよ」という約束を「旧い契約」とみなしたのだ。
あの壮大な物語をそこ一点に収束させるんだねー。
なるほどねー。
つまり、新約聖書とは「ほら、旧約聖書で約束した救世主が到来したよ」という福音(良い知らせ)の物語なのだ。
じゃ、「新しい契約」とは何か、というと、この辺いろいろ読んで頭がこんがらがってるんだけど、ひと言で言えば、「信じれば救われる」という約束かな、と思う。
イエスは人間の罪を背負って死に、3日目に復活した。
それを信じよ。信じれば救われる。
ということかな、今現在は思う。
この辺の「神との新しい契約」について、ボクはまだどこかで納得できていない。この連載を通して考えて行ければ、と思っている。
ちなみに、新しい契約になって、対象は「イスラエル民族のみ」から「全人類」へとアップグレードされる。
だから(後述するけど)、言語も、ヘブライ語ではなく、当時の共通言語であるギリシャ語で書かれていたりする。
つか、神は、いままで、異教徒の地に入ると「この地の人間は男も女も、子どももすべて虐殺し、焼き払え!」とかイスラエルの民に命令していたわけだ。
そしてイエスはそんな神を信じるユダヤ教徒。
んー・・・そんな簡単に「全人類へアップグレード」出来るのかなぁ・・・。というか、イエス自身が「ユダヤ教徒の中でも過激思想者であった」ということだと思う。
●イエスはもともとユダヤ教徒で、死ぬまでユダヤ教徒だった!
イエスと12人の弟子たちはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だった。
つまりキリスト教はユダヤ教の一分派として始まった宗教だ。
で、キリスト教はイエスが作った宗教ではない(ここ重要)。
イエスの死後に、イエスを救世主と考える人たちが作った新興宗教がキリスト教だ。
イエス自体は、亡くなるまでユダヤ教徒のままだったのだ。
その後、キリスト教が成立した時点で、ユダヤ教の「聖書」が「旧約聖書」と呼ばれて分けられた、という流れ。
そういう意味では、ユダヤ教徒たちは「なんでわしらの聖書が『旧い』とか言われなあかんねん!」っていまでも怒ってたりする。
●新約聖書の著者は4人+α!
イエスが亡くなった後、イエスの弟子達が生前のイエスの言動を記述したものをまとめたのが新約聖書なのだけど、中身はいくつかに分けられる。
福音書(イエスの生涯と言動・教えを書いている)
使徒言行録(ペテロとパウロの伝道を書いている)
パウロの書簡(パウロのお手紙を集めたもの)
公同書簡(十二使徒が記したと言われるお手紙)
ヨハネの黙示録(新約聖書唯一の預言書。人類滅亡と最後の審判、キリストの再臨を描いている)
イエスの誕生から死、復活までを書いているのが「福音書」で、著者は4人いる。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、の4人。
よく、「マタイ伝によると」とか書かれているじゃん? あれは、著者のことなんだな(キリスト教の授業を受けてないのでそんなことも知らなかった)。
ただ、これ、同じようなことを異なる著者たちの視点から書いているから、内容に違いや矛盾があったりするらしいw 面倒だな。
この中でも、マタイとマルコとルカはわりと同じようなことを書いているので「共観福音書」と呼ばれているらしい。
ヨハネが書いたものはね、あまりに独特らしく「第四福音書」と分けられているらしいよ。
巨匠ルーベンスがこの4人を描いている。
左から、ルカ、天使、マタイ、マルコ、ヨハネ
。
ちなみにこの4人が一堂に会したことはないので、これはフィクション。
ヨハネだけそっぽ向いているなw
●福音とは「エヴァンゲリオン」であり「ゴスペル」だった!
上で書いた福音書。
福音というのは、「幸福の音信」の略。意味的には「良い知らせ」ということだ。
新約聖書とは「ほら、旧約聖書で約束した救世主が到来したよ」という福音(良い知らせ)の物語、と上に書いたが、そう、それが「福音」。
ちなみに、くり返しになるけど、旧約聖書はヘブライ語で書かれているけど、新約聖書はギリシャ語で書かれている。
いや、イエスはギリシャ語を話さないよ。
彼はアラム語(ちなみに弟子たちはヘブライ語)を話した。
ただ、新約聖書としてまとめるに当たって、当時の西欧世界で一番文化的な共通言語だったギリシャ語を選んで聖書を編んだ、ということだ。
で、福音という日本語の語源は、ギリシャ語の「エヴァンゲリオン」らしいのだなぁ。
エヴァンゲリオンを明治時代に「幸福な音信」と訳し、それが略されて「福音」となったということだ。
つまり、「新世紀エヴァンゲリオン」は、「新世紀幸福音信」であり、「新世紀福音」であり、「新世紀良い知らせ」なわけだw
もっと言うと、福音を英語で言うと「ゴスペル」だ。
良い知らせ=God(Good) Spell(News)=Gospel。
うはー、ゴスペルって「良い知らせ」なんだなぁ。
キリスト教の「良い知らせ(福音)」を歌った歌は、すべて「ゴスペル・ミュージック」ということか!
というか、ゴスペル・ミュージックについても少し調べたけど、『明日に架ける橋』とか『雨にぬれた朝』とかもゴスペルなんだね。
●新約聖書の絵は、ほぼカトリック!
キリスト教には大きく3つの教派がある。
カトリック、プロテスタント、東方正教会、の3つだ。
この3つの教派とそれ以外の小さな教派を入れて、キリスト教徒は全部で23億人いるらしい(世界の3人に1人がキリスト教徒!)。
この3大教派の違いを簡単にまとめてみる(本「キリスト教とは何か」を参考に作成)
この表でわかるように、プロテスタントは偶像や絵画を認めていないし、東方正教会は板絵のイコンのみ。宗教画を描くことが許されているのはカトリックなのだ。
しかも、マリア崇拝とか聖人崇拝も、ほぼカトリック。
つまり、この連載シリーズで取り上げるのは、主にカトリック教派の絵画(3大教派に分かれる以前含む)、と言って良いと思う。
●なんで聖母マリアが信仰されるのか?
キリスト教の信仰の対象は、神と、神の子であるイエスだ。
というか、唯一神だからね。
基本、信仰対象は神だけのはず(神の子と聖霊を含めて三位一体として扱うらしい)。
じゃ、なぜ聖母マリアが信仰対象になっているんだ?
要するに「三位一体の神へのとりなしをイエス・キリストの母マリアに仲介してもらう」ということらしい。
背景には「キリスト教における女性神の欠如」があるとも言われている。
ちなみに、正確には、神に対する「崇拝」と区別して、人間であるマリアや聖人には「崇敬」という言葉を使うらしい。
●じゃ、三位一体って何?
この「三位一体」(英語で trinity)は、キリスト教の教義のとても根源的な部分だということで、ド素人のボクが生半可に踏み込みにくいところ。
父(=父なる神・主権)、子(=神の子・子なるキリスト)、霊(=聖霊・聖神)の3つが「一体(=唯一神・唯一の神)」であるとする教えだ。
まぁ「人間のカタチをした神の子であるイエス」を崇拝するということは、唯一絶対の神であるヤハウェ以外を崇拝することでもある(なにしろ唯一なので)。
その辺の矛盾を「三位一体」として凌いだ、ということみたいだけど、神学領域の話なのでこの辺にしておきます(怖いw)。
ということで、「今日の1枚」は、三位一体を描いた絵を取り上げたい。
いろいろ見たんだけど、この絵が一番理解しやすかったので、これを選んだ。
クリストフォロ・マヨラナ。
全体背景が「神」で、真ん中に鳩(聖霊の象徴)がいて、前面に神の子イエスがいる構図。わかりやすい三位一体と言ってもいいのだろうと思う。
ちなみに神を囲っているのは天使たち。
この天使たちも、先に理解しておいたほうが良さそうなので、次回に軽く触れたいなと思う。
なぜ、聖霊が鳩なのか。
これ、ちょっと後の回に出てくると思うけど、ヨハネによるイエスの洗礼のとき、「聖霊が、鳩のような形をして、現れた」みたいなことが書かれている。
あと、思い出されるのは、旧約聖書の「ノアの大洪水」。
神と人間との間の和解(洪水の終わり)を示す象徴として鳩が現れる。
そんな流れで、「聖霊=わかりやすく鳩」ってなったのではないかな。
ムリーリョ。
これも聖霊は鳩で、下には子どものイエスがいる絵。なんかありがたい絵だ。こういう「いかにもありがたい絵」は旧約聖書にはほとんどなかったなぁ。
アントニオ・マニュエル・ダ・フォンセカ。
上の方に神とイエスと鳩がいる。天使たちも多分描き分けられているのだろうと思うけど、いまひとつわからない。
シモン・チェホヴィッチ。
この青い球はなんだ? 地球かな? 18世紀に描かれた絵なのでもう地球は青くて丸いのかな(ちなみにコペルニクスは16世紀の人)。
多くの天使を従えて、穏やかな神と、イエスと鳩。
新約の神はなんだかやさしげだなぁw
ということで、第一回目は予習みたいなものなので、これでオシマイ。
次回は「天使と悪魔」についてちょこっと知っておきたいと思う。
※
この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。