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闘アレ生活(8) 〜食欲の秋は地雷だらけ篇

57歳のある日、いままでアレルギーなどひとつもなかったボクが、突然アニサキス・アレルギーになった。そして、ほとんどすべての魚介類が食べられなくなった。いまは魚系のダシやエキスまで避けている。
そういう生活とはいったいどういう感じなのか、ちょっとだけリアルに知ってもらうために、ちょぼちょぼ書いてくシリーズです。
暗くなる話も多いけど、リアルに知ってもらうのが目的なので、申し訳ありませんがご理解ください。
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突然、魚介類がすべてダメになったのは、去年の春。

その頃は、「もっと大変な思いをして生きている人もたくさんいるし!」「こんなの乗り越えられなくてどうする!」などと意気軒昂だった。

春夏はそういう勢いで乗り切った。

でも、あかんかった。

秋はあかんかった。
去年の秋はほとんどウツになってしまっていた。

なにせ、食欲の秋だ。
何を見ても美味しそすぎるのである。

刺身も鮨も焼魚も煮魚も、鍋も汁物も和え物も、お蕎麦もうどんもラーメンも、ぜーんぶ食べられないのだが、ぜーんぶ超美味しそうに見えるのが「秋」ってヤツなのである

いやホント、去年は危なかった。
アレルギー初年度だったので免疫がないというか、心の襞が柔らかすぎるというか、とにかく「ナイーブ」だったのだ。

道を歩いていて、鮨屋や割烹の看板みるだけで落ち込む。
店頭に貼ってある定食屋のメニューを見るだけで落ち込む。
テレビでグルメ番組とかふと目にしてしまうだけで落ち込む。

それどころか、朝晩ちょっと冷えるだけで、鍋を思い出して落ち込む始末。

美味しそうな写真で溢れるSNSなんか決死の思いで見てた。

肉なら傷つかないだろう、野菜料理なら楽しめるだろう、と思っても、そんなに甘くなかった。美味しいものを食べれば食べるほど、美味しい料理の記憶が心を苛むのだ。

しかも、たとえば野菜でも、和食だとたいていダシで調理している。ほんと、何にでも魚ダシを使っている。ほとんど食べられない。


・・・生きていくうえでの地雷が多すぎる。
マジで「あー、あと半歩でウツの崖に落ちる」という日々だった。




さて。
今年は、二度目の秋である。

あれから1年。
少しは知恵がついた。
心の襞を守る術はそれなりに手に入れ、磨いてきた。

闘ってるしね。
心の襞を「闘い」という防具で守ってある。

とはいえ、やはり「秋」は手強いな。
ほんと手強い。

「秋の味覚」の情報が身の回りに多すぎて、急に地雷を踏む。

いったん地雷を踏むと、数日は落ち込んだままだ。
能率わるいこと甚だしいし、仕事仲間や友人にも失礼だ。


なにが地雷かわからないから、すごく慎重に生きている。
街を歩くときも、下見て歩いている。

いや、マジなのだ。
ふと見た和食屋の看板で「嗚呼、美味しい魚食べたいー!」とか膝から崩れ落ちそうになることがある(大丈夫なときは全然大丈夫なのだけど、なにかの引き金で急にそうなる)。

そうならないように、地面を見て歩く。
盛り場にもレストラン街にもなるべく行かない。
秋は危なすぎる。


心って不思議だ。
理性ではとっくに納得しているのに、何かに引っかかって急に傷つく。

この前とか、自分でも意外な傷つき方をした。

ラグビーワールドカップ「ジャパン vs アイルランド戦」をテレビで見ていて、プロップの具(韓国出身の具智元選手)のスクラムでの大活躍を「具、すげーー!」とか褒め称えているときに、急に「具」という漢字が頭の中でクローズアップされてしまい、「あー、鍋食べたいなぁ」ってなって、しばらくはラグビー見ながら「どういう鍋を食べようか」とか妄想してて、妄想している間はなぜか「魚がダメ」ということは忘れていて(ラグビーに集中しているせいもある)、「鱧松とかそろそろ季節だなぁ」とか「普通の水炊き食べたいなぁ」とか気持ち的に盛り上がっていて、あるときふと「あ、鍋、無理じゃん!」って気がついて、そのときは「バカだなぁ」とか笑ってるんだけど、心はどうやらかなり傷ついていて、気がつくと鳥肌たっていて、その数分後にズドンと落ちる、とかね。(わかるかなw)


もう、なんつうか、いったいどこに引き金があるんだよ!って叫びたくなるw


だから、とにかく慎重に。

地雷を踏まないよう踏まないよう、足元をよく見て、慎重に。

なにが引き金になってグッサリくるかわからないから、慎重に。



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さとなお(佐藤尚之)
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。