生きるということ
書きたいことがたくさんあって、何から書こうかなあと迷っていた矢先に、私の大切な従弟が突然倒れ、今も昏睡状態が続いています。まだ47歳。
どうして? と、問わずにはいられません。
でも、人にはそれぞれの寿命があり、いつか必ず死が訪れる...
今日は、私の考える『生きる』ということいついて、書いてみます。
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2018年に義父と父が相次いで亡くなりました。
パーキンソン病が進行した父は、2年間寝たきりとなり、最後は食べることも動くこともしゃべることもできませんでした。胃ろうで栄養を送られ、痰を自力で出せないので喉や鼻から吸引されて、長く苦しい闘病生活だったと思います。
穏やかだった父がまだ話せる時に「ダメだ。こんなの生きてない!」と叫んだのを今でも忘れることができません。「頼むから、饅頭を一つだけ食べたい」と懇願する父に、「(誤嚥性の)肺炎になるから、良くなったらね」とその場しのぎの嘘をつき、最後まで食べさせてあげられなかった。苦しくて悲しい介護でもありました。
父に最善を尽くしてあげられたのか? 父はあの状態でも生きたかったのか?
今も結論の出ない迷路の中で、息ができなくなるような苦しさを感じます。
その父を追い抜くように、義父はわずか1ヶ月半の闘病生活であっという間に亡くなりました。スキルス性の肺がんでした。
義父は医師から病名を告げられ、「もうできることは何もないから、残りの人生を楽しんでください」と言われたそうです。病院を拒み、亡くなる前日まで自宅で過ごしました。酸素ボンベを持って自分が興した会社と丹精込めて手入れした美しい庭を「さよなら」を言うように、ゆっくりと時間をかけて散歩していました。
自宅での最後に夜は、もう起き上がることもできないのにワインショーレ(ワインの炭酸水割)を飲んで笑っていました。そして孫娘2人と私の4人で静かに会話した後、悲しそうに私の目をまっすぐ見て、何も言わずにぎゅっと握手してくれました。それが義父と私の最後の時間でした。「明日も来るからね」という孫たちには「いや、明日は病院に行かないといけないからね」と間接的に今日が最後だよと伝えていました。
次の日、義父はその言葉通りに夫に連れられて病院へ行き、その次の日の未明に一人で逝ってしまいました。私に「さとみのお父さんを追い抜いていくよ」と言った義父。あっぱれな最期でした。
二人の父の死に様があまりにも違っていたので、私は混乱と憤りの中で「生と死」について深く考えたのですが、二人とも「精一杯生きた」ということは同じ。
そして、その死を通して私が学んだのは、
人は死をもって、残された者に「どう生きるのか」ということを問いかける
ということでした。
どう生きたいのか?
どう死にたいのか?
死は必ず訪れます。
早いのか遅いのか、それは誰にもわからない。
大切なのは、自分を生きること
どう在りたいかを決め覚悟をもって生き抜くこと
ただ、それだけではないでしょうか。
従弟がよくなるという奇跡を信じています。
まだ47歳で、2児の父で、仕事もできて、イケメンで、スポーツマン。 しかも朗らかでいい子です。
でも、もしも彼の意識が戻らなかったら、悲しまずに、生まれてきてくれてありがとうと伝え、立派に生きたことを褒めてあげようと思います。
悲しいけど、悲しくない。
泣いてるけど、泣いてないです。
誰の人生にも輝ける日々があり、その人生には必ず意味があるはずです。
残された家族や友人たちが、限りある自分の命の時間をどう生きていくのか、と問われているのだと思います。
そうして、命が未来へと繋がっていく。
私はそう思っています。