激辛塩対応からの学び

心を病むことになった要因についてざっくり振り返ると、虐待、事故、事件、パワハラ、セクハラ、モラハラ、人の借金、病気…くらいだと思うんだけど、何よりも耐え難く人生を終わりにさせてほしいと引き金を引いたのは、子供の病気だった。
もうね。ほんと、これほどの苦行はないんじゃないかと思う。自分のことならどうとでもできる。
何もできない無力感。子供が病気したのは、母親である私のせいかもしれないと…なかなか向き合えなかったけど、心の底ではいつも感じてたし、病気を苦にリストカットを始めた我が子の手当てをしながら、動揺してるのを気取られてはいけないと、平静を保ちつつ、子供が眠るのを待って、車とかシャワーしながらとかバレないところで泣いた。
もう1人の子供が、不安から、その一年後に病気になって倒れた時に、はじめて「もう終わりにしたい…」と考えた。死にたいと思ったのは、後にも先にもこの一回きり。
とにかく自分が倒れたら子供達が死ぬ。浸ったり、挫けてる暇も心の余裕もお金の余裕もなかった。
仕事をいくつも掛け持ちして治療費を捻り出した。夜はなかなか眠りにつけない子供の身体をさすって、寝付くまで…明け方までずっと続く事もしばしば。そのうちに、家を空けることができなくなり、仕事に行けなくなった。
家で稼ぐしかない。事業を始めた。
↑↑↑一行だけどコレ簡単じゃなかった
数年かけて、子供達が元気になって、もう大丈夫かなと…と思ったら、多分、張り詰めた糸が切れるというのは、まあ、こういう事なんだろうな…
子供の病気も、キッカケでしかなく、それは、それまでの私の思考パターンに基づく結果で、それまでの「生き方」から、自分が無意識に引き寄せたモノ。大変な「出来事」というのは、背負う側の姿勢で重量を感じるものだと思う。
実際に直立なのか中腰なのか、あぐらなのか、うんこ座りなのかで、負荷のかかり方が異なるように、心にかかる負荷もまた同じ。
私は、向かい風にも顔を覆う事もせずに、ただの直立で全てを受ける。
10人いたら10人に「バカなのか?」「この人ダイジョウブ?」という評価をいただく。褒め言葉だと思っていた自分がめでたい。
心の体勢というか、思考パターンの問題よね…という事に気づいたのは、ここ一年ほど。
それを気づかせてくれたのは、強烈なモラハラさんに出会ったお陰。ナメクジには、激辛なお塩トッピングでした。あれは、モラハラだったのか、私にそれを教えるためだったのかは、藪の中…

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