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「編集者の病」を超えて、もっと楽しく、もっと自由に「書くこと」を楽しみたい。

「編集者だから「書くこと」が得意だよね」
なんてことを言われることもあるけれど、実はそんなことはない。

書くのが得意な編集者もいるけれど、編集者は「書くこと」のプロである必要はない。編集者にとって「書くこと」が得意だと便利な場面は多いけれど、書けなければ編集者にはなれない、というわけではない

じゃあ、編集者は何のプロかといえば、私はこう思う。

編集者は「読むプロ」だ。

誰か(著者やライター)が書いた原稿を読み、その良し悪しや出来を判断し、フィードバックする。しかも、何度も何度も、飽きることなく。

自分自身が表現することよりも、「目利き」として、表現されたものに判断を下すこと。そして、よりよく仕上げられるよう、書き手を促していくのが編集者の仕事の核だ。

だから、編集者はとにかく「読む力」が求められる……と思いながら編集者の仕事を続けてきた結果、私は、意外な特技を身につけた。

「文章を読むと、書いた人のことが、かなりの精度でわかる」

ちょっとオカルティックかもしれないけれど、結構色んなことがわかる。

たとえば、書き手の心の状態はわかりやすい。
(不安や焦りから書いているのか、それともリラックスして寛いで書いているのか、など。

あとは、書き手のもつ特性なんかも結構わかる。
大らかさ、生真面目さ、繊細さ、優しさ、緻密さ、優雅さ、鋭さ、柔軟さなどなど。

文面的な内容に加えて、文章の奥にあるこの辺りのことを読みながら、行き過ぎない範囲でプレッシャーをかけつつ完成までいくのが仕事なわけだけど、この特技は、過去、意外な場面でも役に立った。

それは、マッチングアプリをしていた時だ。
もう10年近く前になるけれど、私は、マッチングアプリをしていたのだけど、その時は「プロフィール文」で「合わない人」を選別したりもしていた。

相性が良い人まではわからないけれど、「合わない人」は、写真と文章を見ればわかる。(メッセージのやり取りをすれば、さらにわかる)

マッチングアプリで出会ったパートナーと暮らして7年目になるけれど、

今の安定しながらも刺激的で楽しいパートナーとの日々の始まりは、「編集者」としての私の「読む力」が生み出したものであるかもしれない……というのは、半ば惚気で(笑)。

文章を読むとわかるものに、もう一つ、とっても大切なものがある。

それは「言いたいこと」がどれだけ言えているか——だ。

「何となく、この人の話には裏がありそうだな」
「もっと言いたいことがあるのに、言い切れてなさそうだな」

と、相対して話していると、何となくわかることがあると思うのだけど、私は、それが文章を読んでいると、何となくわかる。

だからこそ、著者の皆さまに

「本当にこれが言いたいことですか?」
「もっと書きたいことがあるんじゃないですか?」

なんてフィードバックをして、大変なリライトをお願いしたりして、時に大変なことになったりもしたのだけど。結果的には、そのプロセスがあったからこそ、より良いものが仕上がったんじゃないかと思っている。

・・・と編集者の一芸ともいえる「読む力」は、結構便利で、私の身を助けて続けてくれてきた

だけど、近ごろはこの力のデメリットを感じている。

というのも、自分が書くものに対して、この「読む力」が発動してしまうことだ。

特に目的もなく書いたものなのに、
勝手に良し悪しを判断したり、
書いている人(自分自身)の状態を見ようとしたり、
はたまた「これは本当に書きたいことなの?」とフィードバックをかましたり……

もっと自由に、軽やかに書きたいのに、編集者としての私が堰き止める
数年間にわたって、そんなことが、くり返し、くり返し起きていた。

これは「編集者の病」とでも言える症状だろう。

だけど、今年(2025年)こそは、そんな「編集者の病」を乗り越えたいと思っている。

だって「書く」ことは、もっと自然な行為なはずだからだ。
それに、「書く」って、ある意味では「私」のコントロールを超えたところで起こることなのだから。

大好きな本に『ずっとやりたかったことを、やりなさい(The Artist's Way)』がある。

この本、全日本人に読んでほしい!!のだけど、著者ジュリア・キャメロンが「1日に一度は読み返してほしい」としている「創造性の原理」が、特に素晴らしい。
(以下に引用しますが、太字は、私の判断によるものです)

〈創造性の原理〉
・創造性は自然な生命の秩序であり、生命な純粋な創造的エネルギーだ。
・人間を含め、あらゆる生命には創造的な力が宿っている。
・創造性に心を開くとき、私たちは内なる創造主の創造性に心を開く。
・私たち自身が創造である。そして私たちは、創造することによって、創造の流れを断ち切らぬよう定められている
・創造性とは神からの贈り物である。創造性を用いるとは神に贈り物をお返しすることだ。
創造的であることを拒むのは、自分勝手であり、私たちの本性にそむく行為だ。
・創造性を探究するとき、私たちは人生に秩序をもたらす流れとしての神に心を開く。
・創造主への回路を開くと、穏やかだが強力な変化がたくさん起こる。
・創造主にいくら心を開いても安全である。
・私たちの創造したいという夢や願望は、神聖な源からやってくる。私たちが夢に向かって進んでいくことは、自分の崇高な側面に向かっていくことを意味する。

……という引用をしたのは、
純粋にこの原則を分かち合いたいという思いがある一方で、私の決心を裏付けるエビデンスがほしいという思いもある。このあたりこそが、まさに「編集者の病」なのだけど……

いずれにしても、今年は、もっと気軽に文章を書いていきたい
もっと軽やかに、自由に、「書くこと」を「言葉にすること」を、ただ楽しみたい
それは私にとってスピリチュアリティの実践でもあり、「生きること」そのものであり、それをやらずにはいられないもの(多分やらずにいると、生きている実感がもてなくなる)でもあるのだろう。

時に独りよがりに、時に誰かのために。

編集者としての私を、全て捨て去るわけではないけれど、今まで十分に働いてもらってきたから、必要な時にだけ現れてもらって(いざ表現し終えた後には、場面が大いにあるから)、今年はもっと、ラフな感じで書いていこう。

こんなnoteの「書き初め」を残しつつ。

noterの皆さま、私の散文やエッセイに、これからもお付き合いいただけましましたら幸いです。
私も、皆さまの創造、書くことを、ただ純粋に楽しみたいと思います(「編集者」としてというより、ただの読者として)。

今年もよろしくお願いいたします。

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柏原里美|編集者・ファシリテーター
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