神奈川・沖縄の二拠点生活をやってみたら。
2023年は残り2日となりました。
どんな年末をお迎えでしょうか?
私は、一昨日、沖縄から神奈川に移動してきたところで、まだ移動疲れ&温度差疲れが続いています。
低空飛行中ではあるけれど「やってみた」をテーマに、今年はじめた「二拠点生活」について書いてみます。
二拠点生活は、こうして始まった
「沖縄にも住むとなったら、どう思う?」
パートナーからそんなメッセージが届いたのは、今年2月下旬。
私のパートナーは沖縄出身だ。幼馴染がやっている沖縄の会社の支援をしていて、その流れで昨年、役員に就任にした。
(パートナーのことは、こちら↓の記事も合わせてどうぞ)
彼は、沖縄と神奈川を行き来する生活をしていた。最初は月に1回だったところが、2回になり、3回になり……いよいよ行き来では間に合わない状況になってきたわけだ。
「沖縄にも住むとなったら、どう思う?」
このLINEを見たとき、私は「それはいい!」と思った。
正確に言うと、それが「思った」のかさえわからない。
感情なのか、感覚なのか、思考なのか、私のなかのどこから湧いてきた、どういう種類のものなのかはわからない。
だけど、とにかく瞬間的に「それはいい!」と感じたのだった。
もちろん、生活を変えるのは大変だ。
考えなければいけないことは、色々ある。
私自身、以前から定期的に沖縄・藤沢の行き来はしていた。でも、住むとなれば話は別だ。仕事、生活の調整が必要になってくる。
だけど、そんな心配よりも何よりも
「沖縄にも住もう!」
と思ってしまったのだのだから、仕方ない。
答えはもう出ているから、あとは、そこに向かって辻褄を合わせるしかない(どう辻褄を合わせたのかは、後半で)。
そんなこんなで、2023年5月。
神奈川県藤沢市と沖縄県与那原町の二拠点生活が始まった。
藤沢も、沖縄与那原も、気づけばどちらも海の近くだった。
そういえば、以前から、家の近くに水(川、湖、池、田んぼ)があることが多かった。思った以上に、私は水が好きなのかもしれない。
二拠点生活のリアル① 驚いたこと
ここでは、二拠点生活をやってみて特に驚いたことを2つ挙げてみたい。
人気エリアの不動産事情
まず驚いたのは「住む場所探し」だった。
元々は3月に家を決め、4月のうちに沖縄の拠点を整えるつもりだった。でも、結果的に沖縄での生活を始められたのは5月中旬。
その背景には、不動産事情がある。
沖縄県与那原町は、今、移住者が増えているエリアだ。
「週刊朝日」の「独自集計・全国住みたい街ランキング」で地方の市町村で3位に入ったこともある。
人気は高いけれど、住む場所は限られる。
私たちが目をつけていたエリアも、まさにそうだった。
人気のエリア・マンションでは「空き予定」が出たら、すぐに申し込みをするのが当たり前。
「内見」を待っていたら、いつまで経っても家が決まりそうになかった。
というわけで、沖縄の住まいは「内見」をすることもなく決めた。
引っ越しはもう10回くらい経験しているけれど、こんなのは初めてだ。
家のなかがどうなっているか、雰囲気、空気感はどうなのか……見ずに決めるのは不安だったけれど、住む場所の数が限られるのだから、仕方ない。
不動産屋さんにお願いして、入居の2週間ほど前、カーテンのサイズを測るために、初めて実際に住む家に入った。
すると、窓に子どもの手形が……
「えっ? もしかして、そういうのが出るお家?」
と思ったら、クリーニング前だったらしい(苦笑)。
今のところ、まだお化けには出会っていないし、これといった不便もない。ああ、よかった。
ところで。
実は「不動産事情」にはまだ続きがある。
というのも、入居して少し経った頃、マンションのオーナーが変更になった。そして、この物件自体が「賃貸用マンション」から「分譲マンション」に。つまりは「住み続けたければ、購入してください。購入しなければ、次の更新で出て行っていください」というわけで……これも生まれて初めての経験だ。
「通販で頼んだものが届かない!」問題
不動産事情の次は、仕事・生活の諸調整について。
私たちは、子どもはいない。お互いフリーランスで場所を問わずに働ける仕事をしている。だから、それぞれの仕事の調整は難しくはなかった。
だから、割とすんなり、次のような形に落ち着いていった。
というわけで、仕事の進め方には、そんなに苦労はなかったのだけど、別のところに落とし穴があった。
それは、もっとシビアなものだった。
何かといえば、、、
通販で頼んだものが届かない……!!!
実は、私たちは、引っ越し初日、段ボールの上で一晩を過ごした。
というのも、注文していた布団が届かなかったのだ。
事前に注文を済ませて、「日時指定」もしたはずだった。でも、布団は一向に届かない。
「えーーー」と思って、あらためて読み込んでみると、そこには
「沖縄・離島の発送は、日時指定を承っていない」
との注意書きが。
こういうことが、本当にたくさんあったのです。
それ以前であれば翌日に届いたものが、到着まで数日〜1週間近くかかってしまうなんてことは日常時になり、さらには「沖縄・離島の発送は別料金(時に商品代なみに送料が高い)」なんてこともあった。
ちなみに、本も、発売から5日経ってやっと手に入ったこともある。
神奈川では当たり前に買えた生活必需品(化粧品など)を探すのに一苦労なんてこともあった。
「お店で買うと面倒だから、通販で買えばいい」。
私は通販に慣れきっていたのだと、沖縄での暮らしを始めてやっと気づいた。
とはいえ、沖縄では良くも悪くも通販には頼れない。
沖縄での暮らしが始まってから、Amazonの利用が一気に減ったのだった。
ところで、物流に関していえば、台風の後は、特に大変だった。
物資が限られて、野菜の値段が驚くような価格になってしまったのだ。
沖縄本島でもこれだとしたら、離島はもっと大変なのだろう…
遠くからの物資(物流システム)に頼りきりになることなく、近くで生活を回せるようになることの大切さしみじみと痛感したのだった。
二拠点生活のリアル② 得たもの
余りあるほどの「暮らし」のゆたかさ
ここまでは「驚いたこと」を書いたけれど、驚きはそれだけじゃない。
余りあるほどの「ゆたかさ」を、沖縄での暮らしから受け取っている。
「ゆたかさ」の出所は、なんといっても「自然」だろう。
今の住まいは、沖縄の東海岸。ベランダからは、海から太陽が登ってくる様子が見える。
この場所に住むようになってから、以前から日課にしていた朝のヨガと瞑想、祈りに、ますます身が入るようになっていった。
この場所で目覚めることが日常になって、腹落ちしたことがある。
「祈り」はやろうと思ってするものではなく、無意識のうちに、私たちの身体に、DNAにセットされているものなのだ。
だって、神々しいほどの光が差し込む朝日に出会うと、自然と手を合わせたくなるのだもの。
人知を超えた美しさに出会うたびに、私たちの身体は「祈り」へと向かっていくようにつくられているのだろう。
あと、10月頃までは滞在のたびに泳いでいた。
家から歩いて10分ほどの場所にビーチがある。
そのビーチの遊泳時間は18時まで。
「遊泳時間までに仕事を終わらせて、少しでも泳ぎに行こう」と、日々、逆算して仕事をするようになった。
「泳ぐ」とはいっても、私の場合、大半の時間は、ただ海にプカプカと浮かんでいるだけだ。大の字になって、全身の力を抜いて、ただ揺蕩っている。
そんな時間が、最高に幸せだった。
今は、ただそれだけで十分なんだけど、もう少し海に慣れてきたら、次なる遊びにも踏み出したくなるのだろうか。
ちなみに、インドア派だったパートナーは、朝晩のランニングと、釣りと始めた。海が近くにあると、自然と人は外に出たくなるらしい。
とはいえ、沖縄は何かを「する」ためだけの場所ではないと思う。ただそこに「居る」だけで満たされ、神経系が切り替わる感覚があるのだ。
たとえば、カフェで仕事をしているとき、休憩をしようとPCから顔をあげるると、目をやった先には真っ青な南国の空が広がっている。
移動(主に車)の最中、道路の向こうにはエメラルドグリーンの海が広がっている。
何を「する」でもなく、ただ「存在する」。
この環境に身を置いていることが幸せなのだ。
これだけで十分すぎるほどに、ゆたかなのだ。
そんな時間が、何かを癒し、何かを満たしてくれたように思えてならない。
「もう、何かを付け加える必要なんてない」と腹の底からゆたかさを体感したとき、こぼれ落ちるように、誰かのために何かをしたくなる。
今年、私はnoteで連載を始めたのだけど、連載記事のほとんどは沖縄で書いていた。
沖縄にいるときのほうが「書く」という、誰かと分かち合う行為がやりやすくなる。ムリなくスムーズに、言葉が紡がれていく感覚があったのだ。
自然の一部として、為すべきことをする。少し多く持っているものを、循環させていく。その営みに参加できていることが、何よりの「ゆたかさ」なのかもしれない。
とはいえ「失ったもの」はある
こんなふうに書くと、沖縄ライフ、素晴らしすぎるね。
ぶっちゃけて言うと、ずっと沖縄にいたくなることもあるのだ。わりと本気で、藤沢に戻る時は「帰りたくないよー」と思ったりもしている(笑)。
だけど、一方で、この生活(二拠点生活)をすることで、失ったものもある。特に大きなものを2つを挙げてみたい。
沖縄が単なる「癒しの場所」ではなくなった
直前で、いかに沖縄がすばらしく、この地からとんでもないゆたかさを受け取っていると書いたけれど、住んでみると「それだけではない側面」も見えてくる。
沖縄といえば「南国の自然」「癒し」等を思い浮かべるだろう。
でも、それだけではない沖縄も、確かに存在する。
住んで失ったものの一つは「沖縄=癒しの場所」と手放しで享受できる自分だろう。もちろん、今でも癒されてはいるのだけど「癒されて終わり」とはならないのが人生らしい。
たとえば、少し前にこんな本を読んだ。
沖縄の一人あたりの県民所得は、全国的に見ても最低水準。そして、子どもの相対的貧困率は全国平均の約2倍で、約30%にも及ぶという。
こうした貧困の根本的な原因として、著者は「自己肯定感・自尊心の低さ」を挙げていた。
著者も述べていたけれど、これは沖縄固有の問題のように見えて、そうではない。日本全体に見られる傾向なのだろう。
とはいえ、沖縄でそれが色濃く出ているのには、理由がある。
通販で買ったものが届くまでの時間がふだんの倍以上かかることからもわかるように、都市圏からすれば沖縄は辺境の地だ。
地理的な意味でも、他の面でも、ある意味では、周縁化(マージナライズ)された場所だと言えるだろう。
プロセス指向心理学では、周縁化された場所には、集団のなかで抑圧された声・想い・痛み等が、滲み出るように現れ出てくると考えられている。
個人の抑圧された想い・痛みを「シャドウ」と呼ぶのに対して、そうした集団のなかで抑圧された想い・痛みを「シティ・シャドウ」と呼んでいる。
日本全体をシステムとして見たとき、沖縄の諸問題は、日本の「シティ・シャドウ」なんじゃないかと思えてしまうのだ。
貧困の問題だけではなく、基地の話なんかもそうだろう。
現実として、在日米軍の基地の7割が、沖縄に存在している。
基地をどう捉えるか、日本の防衛をどう考えるか。
「世界平和」を祈らない人はいないだろう。
「祈り」は大切だ。だけど、祈るだけでは解決しない問題だってある。
私の住む場所だって、少し車を走らせれば基地がある。住み始めてから、二度ほど「ミサイル発射」のJアラートを経験したこともある。
経済の問題、貧困の問題、政治の問題、軍事の問題。
「南国の自然」「癒し」と共に存在する沖縄のリアル。
過ごす時間が長くなることで、まざまざと見ることになる。
このリアリティと、どう向き合っていくのか。
そもそも私に、どこまで何ができるのだろうか。
正直なところ答えなんてないのだけど、少なくとも、このモヤモヤからは逃げずにいたいと思っている。
そして、大人としての役割を果たしたいと思っているので、沖縄で何かお役に立てることがありましたら、ぜひお知らせください。
藤沢・東京での活動を絞らざるを得なくなった
当たり前のことを書くと、この生活で一番失われたのは「藤沢・東京で過ごす時間」だ。「月の1/3〜1/2は沖縄にいる」ということは「藤沢・東京にいる時間は1/2〜2/3程度に減った」ことでもある。
これだけ過ごす時間が減ると、以前の生活は維持できない。否が応でも手放さなければいけないものが出てくる。
たとえば、毎週のMTGもスケジュール確保が難しくなる。習い事も通うのが難しくなる。大好きなカフェの季節のメニューも、食べに行けないまま次のメニューに変わってしまう。
……これらはほんの一例だけど、5月以降、私は色々なことをあきらめ、手放してきた。
その一つが「畑」だ。
急に土に触れたくなり、2020年以来、細々と続けてきた農のある暮らし。藤沢の自宅の近所で巡り会えた素敵な畑を、この年末でお戻しすることにした。
畑に行く時間が好きだった。土に触れる時間も、大好きだった。そして何より、自分でつくって食べる野菜は、とんでもなく美味しかった。
畑で過ごす時間は、私が「失われた何か」を回復するために、絶対に欠かせないものだった。
だからこそ「何とか畑、続けられないだろうか…」と時間を捻出しようとしてみたものの、もう全くできそうになかった。
畑に行けるとして月に1回。となると、畑は野草でボーボーになる。それじゃあ野菜の生育に支障が出る。
それに、不思議なのだけど、野菜は「人がたくさん来る畑」のほうがよく育つようなのだ。これは経験則なのだけど、目をかけて、意識を向けていると、野菜は、よく育つ(ように思えた。もちろん、最低限の世話や環境設定をしたうえでの話だけど)。
となると、私よりも、もっと畑に来ることができる人に育ててもらったほうが、畑も、野菜も幸せなんじゃないだろうか。
……そんな想いが逡巡した結果「いったん畑をやめる」という決断をすることにした。
私の性格上、始めることよりも、終わらせることのほうが、ずっと難しい。
だから、つい先日、さいごの収穫&整理に行ったときには、作業をしながら泣いてしまった。「あまり来れなくてごめんね。そして、たくさんのエネルギーを分けてくれて、ありがとう」と、畑に想いを伝えつつ、泣きながら作業をしている私は、さぞ怪しかったであろう。
他にも手放したことはあり、中には、数ヶ月悩んだこともある。
どれも手放したことがよかったのかは、正直なところ、よくわからない。
だけど「二拠点で暮らすこと」は、私のなかでは始める前から決まっていたことのようだ。だから、せめていつかは「これでよかった」と振り返れるようにしたいと思っている。
おわりに
今日のnoteは私の「二拠点生活」の体験談。徒然なるままに書いていったら、気づけば6000字超。
さいごまでお読みくださり、ありがとうございます!
長くなったついでに、最後に2つだけ。
①一緒にお仕事をしましょう
沖縄での仕事、まだ多少余裕があります。
何かお手伝いできることがあれば、ご遠慮なくお知らせください。
近ごろだと、こちらの動物病院のMVVの言語化、採用・育成のお手伝いをしたりしています。
ぜんぶがぜんぶではないけれど、組織の課題の多くは、編集/ファシリテーションで整理・解決できそうだなと思っています。
あと、まだゼロベースだけど「とりあえず話したい」なんかもウェルカムです。お気軽にお声がけください。
②一緒に遊びましょう
沖縄の方も、沖縄にいらっしゃる方も、ぜひ遊んでください。
まだまだ知り合い・友だちが少なくて、暇していることが多いです。
何となくピンときた方、ぜひお茶やランチでもご一緒しましょう。
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